自民党の憲法改正PRマンガを読む

ほのぼの一家の憲法改正ってなあに?

 自民党の憲法改正推進本部が制作したPRマンガ「ほのぼの一家の憲法改正ってなあに?」を読んだ。

 これは印刷物としても配布しているのだが、自民党のWEBサイトからPDFをダウンロードできるのだ。今回はとりあえずこのマンガだけダウンロードして読んでみたのだが、他にも子供向けの政策PRパンフレットなどヤバそうなシロモノがいろいろあるので、そのうちそれらにも手を出してみようと思う。

 さて「憲法改正ってなあに?」だが、これは結構へんなマンガだった。全体の筋立てとしては、憲法改正義論に不安を抱いて「憲法改正絶対反対!」という立場だった専業主婦のほのぼの優子(29歳)が、家族と現行憲法の歴史や問題点を学びながら「子供たちの未来のためにも憲法改正を前向きに議論すべきだ!」という考えに変わっていく様子を描いている。

 しかしこのマンガを読んでも、少なくとも僕は「憲法を改正しなければならない」という積極的な理由を見いだすことができなかった。おそらくこのマンガで憲法改正の理由として主張されているのは、次の2点になるのだと思う。

  • 現行憲法を作ったのは戦後日本を統治していたアメリカ軍であり、その目的は日本の無力化にあった。憲法を改正しない限り、日本の戦後は終わらない。

  • 現行憲法は終戦直後の昭和21年に作られたもので、環境問題やプライバシー権についての言及がないなど、内容面で今の時代の価値観とかけ離れている。

 これについては自民党憲法改正推進本部長である船田元衆院議員が、4月28日に外国特派員協会で行われた記者会見で次のように述べていることとも符合している。

 まず最初に、日本において憲法の改正がなぜ必要かということでありますが、自民党の中にはこれまで2つの大きな考え方がございました。1つは1945年、日本が敗戦になったすぐあとに連合国GHQ、司令部が占領いたしまして、マッカーサー総司令官からいわゆるマッカーサー草案という、日本の憲法の原点を与えられたと、こういうことがありました。

 従って、マッカーサーから与えられた憲法であるから、その良しあしはともかくとして、日本人の手で作り直すべきである。これがわが党、自民党の党是であり、自主憲法の制定という考え方につながるものでございます。

 しかし、もう一方、もう1つの考え方は、確かに今言いましたように、与えられたということは歴史的な事実であるけれども、しかし戦後70年近く、今の憲法はわが国の国民生活にとって定着をしたものとなっている。しかし国際社会、わが国の社会の大きな変化がその後ございまして、それに十分に対応できていない部分が生じてまいりましたので、われわれは憲法を直していくべきだ、という考え方が2つ目であります。
(引用元:http://thepage.jp/detail/20150429-00000011-wordleaf

 まず1点目についてなのだが、僕は現在自民党が提案している「憲法改正草案」のような内容では、結局のところマッカーサーから与えられた憲法の枠組みから脱することはできないと思っているのだ。

 戦前の大日本帝国憲法(明治憲法)と戦後の日本国憲法(現行憲法)とでは、憲法条文の構成や枠組み自体が大きく変化している。現憲法は形式的には明治憲法の「改正」という形で作られているのだが、実質的には明治憲法を一度破棄して、まったく新しく作られたのが現憲法なのだ。

 マッカーサーは日本に対して憲法の草案を提示したが、その条文の細かな部分についてはその後日本側からの修正意見もあり、国会での議論もあってさまざまな修正が施されている。現憲法は「大枠」についてはアメリカの押し付けかもしれないが、細かな部分は日本人の手によるものだ。

 日本人が「押し付け憲法」から脱して新たに自主的な憲法を作ろうとするなら、それはマッカーサーが日本に提示した憲法の「大枠」から脱することが求められるのではないだろうか。細かな文言の訂正だけなら、昭和21年に日本人が行っていた草案の修正議論と何ら変わらない。でも自民党はそうした細かな議論が行われた事実をすっ飛ばして、「そもそもマッカーサーが憲法草案を日本に提示したことが問題だ」と言っている。ならば憲法の「大枠」から議論しなければならないのに、自民党はそうした議論を避けて細かな修正で済ませようとしている。

 自民党の「押し付け憲法論」は、自民党内部でも既に破綻しているのだと思う。自民党の憲法修正草案程度で「自主憲法」だと言うのは、市販のチョコレートに手書きのカードを添えるだけで「手作りチョコ」と称するようなごまかしなのだ。自民党はそれを恥ずかしいと思わないのだろうか?

 自民党だって当初は憲法をゼロから日本人の手で作りたいと願っていたはずだ。マッカーサー憲法のしがらみを脱して、憲法の「大枠」から自分たち自身で作りたいと考えたはずだ。しかし現在の自民党には、もはやその気概はない。やろうとしているのは憲法条文のリライトだ。結構。それならばリライトに徹すればいいではないか。

 現在の日本国憲法は70年前の日本語で書かれている。漢文調のいわゆる文語体が権威を持っていた時代に口語文で書かれた憲法なので、今の日本語の感覚からするとおかしなところがたくさんある。例えば使用する漢字、送り仮名、仮名表記などが、今とはかなり違っている。条文によっては個々の文章がやたら長く意味が取りにくい「悪文」で、これらは小中学生の作文授業ならセンテンスを短く区切った方がいいと指導されるに違いない。

 まず憲法条文を、現代の日本人にわかりやすい言葉に改めるべきだろう。その過程でおそらく、憲法解釈についての議論が行われると思う。これまで言葉づかいの「古さ」の上に解釈を重ねて成立していた憲法議論が、言葉を新しく明瞭にすることで成り立たなくなってしまう場面が出てくるからだ。

 だがそれでいいではないか。誰もが読んでわかりやすい日本語に憲法を改めた上で、次に内容についての議論をして行けばいい。読んでも意味がわからない憲法をもとに、国民的な議論など起こしようがない。まずは憲法を現代語にリライトすべし! これが憲法改正についての僕なりの「持論」なのだ。

 さて「ほのぼの一家の憲法改正ってなあに?」に戻ろう。

 このマンガでは憲法が持つ個別の問題点についてもいろいろな話が出てくるのだが、それでも最後に議論の締めくくりとして持ち出されてくるのは「押し付け憲法論」だ。

千造:憲法は国の形を定め、国を変えていくもんじゃよ。敗戦した日本にGHQが与えた憲法のままでは、いつまで経っても日本は敗戦国なんじゃ
一郎:翔太の世代にまで、戦後を引っ張るわけにはいかないもんな

 なんというアホな話だろう。ちょうど同じ時期に、沖縄の基地問題が騒がれているという現実があるのだ。沖縄の基地こそ、敗戦国である日本にアメリカが押し付けている理不尽の最たるものではないか。沖縄の基地問題が解決するまで、日本の戦後は終わらない。しかし自民党は沖縄に新たな米軍基地を作ろうと、必死になって反対運動を押さえ込もうとしている。

 「押し付けられた憲法はゴメンだが、押し付けられた米軍基地は大歓迎!」という自民党の姿勢に、僕はごまかしを感じるのだ。自民党の政策は「アメリカ追従の徹底」で一貫している。自民党が憲法改正によって成し遂げようとしている「積極的平和主義」にしたところで、その実態は「アメリカの海外での軍事行動に協力しやすくする」とうい以外の何者でもない。そういや自衛隊だって、GHQ統治下で作られた警察予備隊がルーツだよな……。

 安倍首相は「戦後レジームからの脱却」と言うのだが、それは「押し付けられた戦後体制」を脱して「戦後体制を自らの意志で積極的に強化していく」という意味なのかもしれない。「押し付けられた体制」はプライドが許さないが、同じことでも「自ら選んだこと」にすれば満足できるってことなんだろうな。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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