反省も謝罪も何度も繰り返せばいい

産経ニュース

 バンドン会議(アジア・アフリカ会議)に出席した安部首相の演説に、中国や韓国に対する「おわび」が含まれていないことで中国や韓国がへそを曲げているらしい。

 でも演説が行われたのは「アジア・アフリカ会議」なんだから、日本がそこでわざわざ中韓にだけおわびをするのはちょっと筋違いだと思うけどね。演説全文を読むと、そこには第二次大戦に対する「反省」という言葉が出てくる。第二次大戦は「世界大戦」だから、世界中のありとあらゆる国が連合国と枢軸国とに分かれて戦った。アジアも、アフリカも、みんなこれに巻き込まれた。だからそこで各国の「共有する歴史」として第二次大戦を持ち出し、それに対する反省を口にしたのはよかったんじゃないだろうか。でもそこから「おわび」になるのは違うよね。日本はアフリカに対しては、特に何もしてないんだからさ。

 しかしこれが「日本の戦後70年」という区切りの演説になると、また違ったものになると思う。政府はそれに向けて準備を進めていると思うけど、安部首相はそこでも「おわび」は口にしたくない様子。でも僕は「日本の戦後」を考えた場合、朝鮮半島の植民地支配や中国への侵略というのは、やはりごまかしてはならない問題だと思うんだよね。

 確かに中国や韓国が日本に対して何度も何度も「反省しろ」「謝罪しろ」と言い続けるのは、いい加減に鬱陶しい気もする。でもこれはもう日本人が過去に犯してしまった過ちとして素直に認め、今後も未来永劫謝りつづけるしかないようなきがするんだな。ただし「謝罪」と「賠償」は別問題。日本は中国や韓国と外交関係を結ぶ上で既に賠償は済ませているので、今後改めて同じことを繰り返す必要はない。「反省と謝罪はすれども賠償はせず」という原則で、中韓両国と堂々と渡り合えばいいのです。

 賠償するとなるとこれは「お金」の問題だけど、反省するのも謝罪するのもそれだけでは一銭もお金がかからない。お金をかけなくても相手が満足してくれるなら、これが一番安上がりなことだと思うけどな。「反省はもういいだろう」とか「謝罪はいい加減にやめる」などと言えば相手がへそを曲げることは明らかなので、相手に何か言われる前からペコペコ頭を下げて謝っちゃえばいい。

 謝ったことで相手の風下に立ち、その後のありとあらゆる外交交渉で日本が不利になると考える人がいるかもしれないけど、それは違うんじゃないだろうか。ドイツは第二次大戦で周辺国に迷惑をかけた。ユダヤ人やジプシーを大量に虐殺した。それに対してドイツは謝罪したけど、「もういい加減に謝罪はやめだ」なんて言わないと思うよ。今だって謝るだろうし、今後も謝ることになるでしょう。でもそれによって、ドイツの外交交渉力は弱まっているだろうか?

 相手に何かの問題で頭を下げたら、その後は他の問題でもすべて頭を下げ続けなければならない……なんてことはあり得ないわけです。日本は朝鮮半島を植民地にしました。それは朝鮮人のプライドを痛く傷つけた。申し訳なかったね。ごめんなさい。日本は中国を侵略して大勢の中国人を傷つけました。ごめんなさい。でもそうした過去の問題と、今ここで起きている問題は別。あれはあれで、これはこれ。物事にはすべて、是々非々で対処して行けばいい。こんなことは外交においては当たり前のことだと思うのです。

 ドイツは今だって「ホロコーストはどうした!」と言われれば頭を下げ続けなければならい立場でしょう。でもだからと言って、他のありとあらゆる外交問題でドイツが頭を下げ続けるなんてことはないはず。ドイツが他国と深刻に対立したとしても、それに対して「ホロコーストに対する反省が足りない!」なんて文句を言う国もないはずです。そんなの筋違いな言いがかりだもんね。

 中国と韓国が「謝罪しろ」「反省しろ」と言うのなら、日本は百回でも千回でも反省と謝罪を口にすればいい。繰り返しになるけど、それは全部タダなんだからね。「反省もしてますし、謝罪もしてます」と堂々と言い切れるだけの目に見える実績を作った上で、「では今後もよろしく」とにっこり笑って中国と韓国に握手の手を差し出せばいい。

 例えば日韓併合が行われた8月29日(1910年)や、満州事変が起きた9月18日(1931年)の近辺に「アジア諸国に謝罪する日」というのを作って、毎年国会の本会議場に集まった国会議員と大臣たちが中国や韓国に向かって深く一礼して1分間黙祷するという行事を行うのはどうだろう。

 8月15日の正午に甲子園球場でサイレンの音がなって1分間黙祷したり、3月11日に日本各地で東日本大震災の犠牲者を追悼する黙祷が行われるのと同じようなものだ。とにか1年間に1分間だけ、日本中が中韓に対して深く深く頭を下げて反省するポーズを見せる。「どうだ、これほど謝罪しているではないか。反省しておるではないか!」というアリバイを作るのです。

 これに関して毎年何らかのコメントを発表したり、首相が何かを演説したりする必要は一切ない。毎年淡々と1分間だけ深々と反省の姿勢を見せる。それだけのことを、毎年毎年飽くことなく何度も何度も繰り返す。そうすりゃ中国も韓国も「反省が足りない」とか「謝罪がない」なんて言わなくなるんじゃないかな。

 何度も繰り返しになるけど、反省と謝罪は賠償とは別問題。またこうした反省と謝罪を、他の事柄と結びつけることもしない。だから8月15日の終戦記念日に国会議員や首相閣僚が靖国神社に参拝し、その何週間か後に国会で中韓に対する反省と謝罪のために深々と頭を下げたっていい。別にそれを「矛盾」と考える必要はないと思うしね。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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