同性婚を非難する人たち

朝日新聞 2015.4.20 朝刊

朝日新聞 2015.4.20 朝刊

 女性芸能人カップルが女性同士で結婚式を挙げたという話題。女性のウェディングドレス姿はそれだけでも華やかで素敵なものですが、それがダブルで、華やかさと素敵さも2倍✕2倍。

 いろいろと大変なこともあるだろうけど、どんな結婚だっていろいろ大変なもんです。ふたりで力を合わせて、幸せな家庭を築いて下さい。末永くお幸せに。ま、ふたりには何の面識もないわけですが……。

 ところがこうしたニュースが報じられると、ネットニュースのコメント欄には同性愛ヘイトのコメントがずらりと並ぶ。なんだかなぁ……。

 もちろん日本ではまだ同性同士の婚姻関係が正式には認められていないので、今回のような「同性カップルの結婚式」は結婚式ごっこに過ぎないという批判はあるだろうと思う。しかし「同性婚が日本を滅ぼす」だの「社会秩序を乱す」だの「きもい」だのといったコメントを見ると、こういうことを言う人たちの視野の狭さと見識の浅さを感じずにいられないのだ。

 結婚式を挙げようと挙げまいと、日本には同性愛の人達が間違いなくいるわけだし、同性カップルが共に生活するということは既に広く行われているわけだ。なぜそうした人たちが「結婚式を挙げる」ことで、日本が滅んだり、社会秩序が乱されたりしなきゃならないのだろうか。その理屈がまったくわからない。

 例えば保守的なキリスト教徒の中には、「正式な婚姻関係にある者同士以外の性的なパートナーシップはすべて禁じられるべきである」と考える人達がいる。こうした人たちは同性愛について、聖書が定めた「正式な婚姻関係」には該当しないので禁じられるべきだと主張する。カトリック教会などはまさにこうした理由で同性婚には絶対反対の立場を崩していない。

 しかしこうした頭コチコチの人たちというのは、同性愛と同時に、男女の不倫関係や、未婚者同士の性行為にも反対する。なぜならそれは、「正式な婚姻関係」の外側にあるものだからだ。カトリック教会は人間の性を神から与えられた大いなる恵みだとしながら、「教会の認めた法的な婚姻関係」以外の場所でその恵みを行使することは認めない。それが神の定めた法と秩序を守ることなのだ。その主張の是非はともあれ、理屈としては首尾一貫している。

 だが日本で同性愛や同性婚に反対している人たちというのは、単に「オレの趣味じゃない」というだけの話ではないのか。その「オレの趣味」を正当化するために、社会秩序だの何だのと屁理屈をこねているだけなのだ。

 同性婚を認めろと主張している人たちは、「誰もが同性と結婚すべきだ」と言っているわけじゃない。今現在、法的にも社会的にも保護の外側に置かれている同性同士のパートナー関係を、社会が認め、法的にも他の一般的な結婚と同等の権利として認めてほしいと言っているだけだ。なぜそれを認めてはいけないんだろう。それによって、誰がどんな不利益を得るというのだろうか?

 今の日本では同性婚より選択的夫婦別姓のほうが実現が近そうだけど、僕自身は社会に与えるインパクトや影響力という点では、同性婚より選択的夫婦別姓の方がより重大なものだと思うんだけどな……。だって「同性婚」はあくまでもマイノリティの問題だけど、「夫婦別姓」は結婚するカップル(あるいは結婚している夫婦)すべてに関わってくる問題だよ。どっちがより問題が大きいかなんて、考えなくてもすぐわかるでしょうに。

 同性婚を認めると少子化がさらに加速すると言う人がいるのだが、僕はむしろ同性婚を認めることで全体の婚姻率が上がり、多少なりとも少子化解消につながる糸口になるかもしれない……と思っているのだが、その理由についてはまた別の機会に。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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