PTA問題を解決するたったひとつの冴えたやりかた

PTA

 子供たちは春休み。春休みは宿題も出ないし比較的のんびりと過ごせるんですが、4月の新学期からはまたバタバタと慌ただしい日々になりますなぁ……。それを考えるとちょっと気が重い。

 子供を持つ親にとって一番ウンザリさせられるのは、新年度早々にあるPTAの役職決めでしょう。たいていどのご家庭も、負担の大きな役職には就きたがらない。保護者同士で「この係は比較的楽だ」とか、「これこれの理由があれば役職を免除してもらえるらしい」などの情報交換が盛んに行われているはずですが、最後はクジ引きかジャンケンだから、こうした情報がどの程度役に立っているのかはわからない……。

PTAに参加しないという選択肢

 しかしそんなにPTA活動に参加するのが嫌なら、いっそのこと「最初からPTAに加入しない」とか「PTAから脱退する」と腹をくくる方が手っとり早くないか? PTAはあくまでも保護者の自発的な参加にもとづく任意団体なので、そこに強制的に参加させることはできないのです。PTA活動の何が問題かというと、参加するかしないかの意志を問うことなしに、「全員参加が当たり前」で物事が進められてしまうことにあるんじゃないでしょうかね。

 学校で「PTA加入申込書」が配布されるところがどれだけあるんでしょう? PTAの規約に加入や脱退の手続きについて記されているところが、どれだけあるんでしょう? 新入生向けの説明会で「PTA加入は任意なので、参加したくなければしなくても構わない」と説明している学校がどれだけあるんでしょうか?

 考えると気が重くなるPTA活動を劇的に改善し、参加者の誰もが生き生きと活動できる組織に変える方法はひとつしかない。それは「PTA活動への参加は任意である」という事実を周知徹底することです。新入生向けの説明会では、新入生の保護者に向けて「PTAは参加も不参加も自由である」ときちんと説明すること。その上でPTA規約と申込書を添えて、PTAの活動に賛同する保護者にだけ参加してもらえばいい。

 これによってPTAは「主旨に賛同して参加したい人だけが参加している組織」になるので、内部の役職決めなどもスムーズに進むでしょう。みんなやりたくてやってるんだから、文句はないよね。文句を言うなら、辞めちゃえばいいわけだし。

なぜPTAは強制参加なのか?

 しかしほとんどのPTAはこんなことやってないわけです。な〜んとなく「全員参加」であるかのように思わせて、な〜んとなく「役職が割り当てられるのは当たり前」であるかのように振る舞っている。強制的に参加させ、強制的に役職を割り当てるのです。これが保護者の不満と憂鬱のもとになっている。

 なぜPTAは自分たちが任意団体であることを明らかにしないのか。それが伝統だから? これまで誰もそんなことしてこなかったから? まあそうしたこともあるでしょうけど、単純な問題として「参加も不参加も自由」ということになれば、組織率が大幅に減ることが明らかだからでしょう。まあいきなりゼロになるとも思えないけど、これまでどの学校でもほぼ100%に近かったPTAの組織率は下がるわけです。現在100%近いんだから、組織率がこれ以上に上がることはあり得ない。下がる一方です。

 僕の勝手な推測ですが、「参加も不参加も自由」と宣言すれば、まずその最初の年だけで2割ぐらいは減るでしょう。そして「参加しなくても特に不便や不都合がなかった」ということになれば、翌年はさらに減って組織率は半分以下になるような気がします。

 これで困るのは、これまで組織率100%が前提で立てられていた予算です。組織率が半分になれば、予算規模も半分になる。これまでできていたことが、それによってできなくなることも出てくる。まあそれはそれで「身の丈に合った活動」にPTAを縮小すればいいだけなんだけど、これに文句を言う人もいるわけですね。PTAのOBとか、地域の人たちから、絶対に文句が出てきそうです。PTAの役員、特に会長さんはそうした批判の矢面に立たされる。それが嫌だから、今まで通りに「全員参加」でPTA活動を行うわけですね。

そもそもPTAは必要なの?

 PTAというのは戦後にGHQの指導で各学校に導入されたもので、日本が貧しくて教育環境に予算が割けなかった頃にはその活動にも大いに意義があったのです。戦争中に金属の供出で跡形もなくなってしまった遊具を、PTAの寄付やカンパで入れるとかね。授業に足りない教材を補ったり、薄給で働く先生たちをねぎらったり、子供たちのためのイベントに協力したりした。でも今はどうなんだろう。PTAって必要なんだろうか?

 じつはPTAというのはどんな学校にも漏れなく存在するものではなく、PTAがない学校も日本にたくさんあるわけです。例えば私立学校にはほとんどPTAがないし、新興住宅地などに作られる新設校にもPTAがないところが多いとのこと。PTAというのは保護者たちが自発的に立ち上げる組織だから、新しい学校が作られたときに誰かが音頭を取って「PTA活動やるぞ!」と声を上げない限りPTAはできないんですね。学校側の主導でPTAが作られるとしたら、それは本来のPTAとは別の目的を持った組織でしょう。「学校の正規予算とは別のお金をプールしておく組織」として、PTAがちゃっかり利用されてしまっている例は多いと思うのですね。

 じゃあPTAのない学校はそれによって子供たちが不自由しているかというと、別にそんなことはないわけです。運動会だって、遠足だって、林間学校だってちゃんとできる。保護者たちがPTAとは別に自発的に「父母の会」などを立ち上げているところもあるし、運動会の準備など人手が必要なイベントでは、そのつど父母のボランティアを募っているケースも多いようです。

 「PTAは不要だ!」と単純に言い切れるものでもないんでしょうが、実際にPTAなしで活動している学校もあるという現実があるわけです。現在PTAが存在する学校についても、その活動に対して参加者の負担が大きくて不満が募っているのであれば、活動内容をゼロベースで見直したっていいはずです。PTAの活動に組み込まれている仕事のうち、本当に必要なものは何でしょう? 絶対に必要なものは、じつはそれほど多くないと思うんだけどな……。

PTA活動を健全化しよう

 PTA活動を健全化するのは簡単。繰り返しになりますが、「PTA活動への参加は任意である」という事実を周知徹底することです。それによって参加人数が減ったり予算が減ったりしたら、その身の丈に合った活動に縮小して行けばいいのです。

 もちろん今の状態でいきなり「参加は任意」と言い出せば、多くの学校でPTAの存続自体が危ういという状態になってしまうでしょう。僕の予想では1年目に組織が2割減、翌年には半分以下になって、3年目には「解散しようか」というレベルにまで落ち込みます。だから「参加は任意」を打ち出す前に、PTAは組織率が大きく下がらないように手を打っておくことが大事です。

  • 活動内容の見直し:前記したように一度活動内容をゼロベースで見直し、PTAの活動として特に必要ではないものについては廃止したり、イベントごとにボランティアを募るような形に置き換えていくこと。毎回学校に集まって会議をやって……というのも負担が大きいので、メールや電話で済ませられるものは済ませてしまうこと。

  • 広報の重視:PTAの活動内容とその意義について、行事での挨拶や広報紙などを通じて普段からPRしておくこと。PTAの仕事はやりがいがあり、面白くて、子供たちのためにもなっている……ということがアピールできないと意味がない。じつはほとんどのPTA広報紙は「学校活動の報告」になっていて、PTAの活動報告になっていないと思う。これでは「PTA広報紙」の意味がないと思うんだけどなぁ……。

 PTA活動が忌避される理由として「忙しい」とか「時間がない」ということがしばしば持ち出されるのですが、そう言っている保護者だって子供の運動会や学芸会、授業参観などには必ず顔を出すのです。こうした言い訳が出てくるのは本当に忙しいわけでも本当に時間がないわけでもなく、PTAの活動に時間を割くことに意義が見いだせないというだけの話。だからこそ、負担は最小限に抑え、やりがいを最大限に引き出す必要があるのです。

そうは言ってもとりあえず……

 こうしたPTAの改革は当然PTAの役員にならないと不可能だし、それも中途半端な役職ではダメで、責任と発言権の大きな会長クラスにならないと無理。さらに他の役員の理解と協力も不可欠でしょう。でも多くの学校で会長職というのは、へんに権力志向の大きいお調子者が勤めていたりして、「みなさん頑張りましょう!」と気合いが入っちゃってたりするんだろうな。

 PTA改革をするには、組織のトップである会長がPTAの問題を認識していないと無理。でも「みなさん頑張りましょう!」型の人は問題のある組織にある意味「最適化」しちゃっている人だから、自分では組織改革なんてできないわけですね。組織のために身を粉にして働くのが好きで、自分がそれだけやっているんだから他の役員も同じように身を粉にして働くのが当たり前だと思っていたりする。

 じゃあこういうPTAに運悪く捕まってしまったらどうすればいいのか? それは「嫌ならいつでも辞められる」という事実を知った上で、仕事をほどほどに手伝うことです。「嫌な仕事を押し付けられてしまったけど辞められない」と思うと本当に嫌になってしまうけれど、「この仕事は辞めようと思えばいつでも辞められる。でも今は自分の意志でこの仕事を手伝っているのだ」と思えば、それなりにがんばれるもんです。

 その上であまり無茶な仕事を振られたりすれば「できません」とはっきり言うこと。「できないという言い訳はできない」などと強引に言われたら、「ならば辞めます」と宣言して仕事を放棄すればいいだけです。本人が「できない」と言っているのに、無理矢理仕事を押し付ける方が間違ってます。

 「いざとなれば辞められる」というのは当たり前のことです。給料を貰って働いている職場だって、あまり無茶なことを言われるようなら辞める自由があるのです。何の報酬も対価もないPTA活動ごときが、自由に辞められないはずがありません。

 まあ実際に辞めるとなればいろいろと問題も生じそうですが、「いつでも自由に辞められる」という逃げ道を用意して働いているのと、「何があろうと決して辞められない」という出口なしの状況で働くのとでは、心理的な重圧が違うでしょうしね。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

PTA問題を解決するたったひとつの冴えたやりかた」への1件のコメント

  1. 若いとき、両親が何度かPTAをやっていました。(当時、共働き。両親が町内会やPTAの活動で急がしいときは子供でご飯を作ったり、長女の私が留守番をして妹や弟の面倒をみていました。現在だと小学生の私に家事をさせているからネグレクトの両親だと刻印されちゃうのでしょうか・・苦笑)その後、妹が病気で乳児の面倒をみられないため、養女として両親が孫を引き取り、幼稚園からずっと育てていました。本来ならのんびり老後を暮らすときに、父は80歳でも働きながら、母は70代初めまでは喫茶店業をしつつ、姪っ子の面倒をみていました。もちろん、孫のために町内会の役員、私立だったので保護者会の役員もやりました。(周りには高齢だから出来ないことは手伝ってもらいますとお願いしたそうです。初めから言えば案外それなりに何とかできるそうです)私も平日や週末(不規則出勤だったから土日休めないことも)半休や全休を取り、両親の代わりに年間、4,5回はお手伝いにいきました。そのかわり、自分の時間がもちろん減ります・・・でも昭和や明治の時代は家事や職場での機械化、通信方法がアナログで平成と比較すると進んでおらず、先人は遊んだりする時間もあまりなかったですよね。
    自分の趣味の時間や休養の時間を、少し使うことは楽ではありませんが、それを損得で考えるものではありません。また、大人になっても、人間は成長しなくてはなりません。だから、こういう役員をすることは、無駄だとは思いません。自分ももう直ぐ50代ですけど、周りをみると自分の趣味、自分の美容、自分磨き、自分が・・自分が・・の人たちばかりだなと思います。それに、犠牲と考えるのもおかしいのではないでしょうか?人生の半分近く、海外(東南アジアやヨーロッパ、米国)で暮らしていましたが、ほかの国でも同じような現象が増えて、自分中心の大人が増えてPTAや地域社会への活動でも、やりたくないと言う人が増えてきて大変です。
    もう少し、周りのために何かしたいなと自然に考えられる、助け合いの社会が必要ではないでしょうか?
    国内だけではなく、今は通信が便利な時代です・・・世界単位で、PTAや町内会の問題をきちんと明確にして、みんなで悩みつつ、少しずつ解決していく機会が必要になるのではないかと思います。

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