愛国心教育は無意味である

老子

 学校での道徳教育について賛否両論かまびすしいのだが、僕は「学校でも道徳教育は当然必要だ」と思う一方、「学校での道徳教育はまあ無理だろう」とも思っている。

 そもそも道徳とは何であるか。それは人の生きる道である。中国古典に「道徳経」というものがあって、これは今でも「老子」の名で読まれている。「老子」の上巻が「道経」で、下巻が「徳経」。上下合わせて「道徳経」になる。昨今「道徳教育」が取りざたされている中で、僕が思い出すのはその「老子」十八章にある有名な言葉だ。

大道廃れて仁義有り、
知恵出でて大偽有り。
六親和せずして孝慈有り、
国家昏乱して忠臣有り。

 何もせずとも治まっている世の中が消えてしまえば、ことさら人の道を強調しなければならなくなる。嘘やごまかしばかりが増えるから、決まりごとやルールで縛りたがる者も現れる。家族や人間同士のつながりがバラバラになっているからこそ、人はとかく「絆」などときれい事を言いたがる。国のたがが弛んでいるからこそ、愛国心を強調したり押し付けたりするようになる。……といった意味だ。

 最近は道徳教育と言うとすぐに「愛国心」ということになるわけだが、こんなものは老子に言わせれば道徳としては下の下であって、本当のことを言えば「愛国心」など強調しないでも人々が国を愛することができるのならそれが一番望ましい。道徳やら愛国心やらを頭ごなしに押し付けると、それは自然な人の道をかえって妨げ損なってしまうと老子は考えた。

 でも思うんだけど、日本人はわりと日本が好きなんじゃないのかな? 普段はサッカーなんか見ない人も、国際大会になれば日本を応援するでしょ? 特に愛国心教育なんてしなくても日本人は十分に愛国的なのに、なぜそれに加えて学校で愛国心教育をする必要があるんだろうか? 愛国心の押しつけは、かえって自発的な愛国心を傷つけ損なってしまうことになると思うんだけどな。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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