沖縄は何とかならんのか?

命こそ宝 沖縄反戦の心

 僕は映画を通じて世の中の大半のことを学ばせてもらっている。阿波根昌鴻(1901〜2002)という沖縄の反戦地主のことを知ったのも、映画を通じてのことだった。彼を取り上げた映画は『人間の住んでいる島』(1996)と『教えられなかった戦争・沖縄編』(1998)があるのだが、僕は後者を観て「沖縄の基地問題というのは大変なもんだなぁ」と思ったのだ。

 沖縄の基地問題というのは今でこそ「反戦・平和運動」と深く結びついているのだが、これはベトナム戦争の頃に沖縄が米軍の発進基地となり、そこで「ベトナム反戦運動」と「反基地闘争」が結びついた結果だったらしい。ベトナム反戦運動は世界的な平和運動だったため、ここで本土の平和運動家が沖縄に渡って、現地の人たちと一緒になって平和運動をしたりするようになったのだろう。これは今でも続いていて、ウヨク連中から反基地運動が「プロ市民の扇動」などと言われる原因となっている。

 しかしもともと沖縄の反基地闘争というのは、より素朴な、だからこそ強い怒りと憤りに根ざすものだった。それは「勝手に奪い取ったオレたちの土地を返せ!」というものだ。沖縄はサトウキビの島だった。沖縄の人々の多くはサトウキビ栽培に従事して生活していた。沖縄本島は太平洋戦争末期の沖縄戦で「鉄の暴風」と呼ばれる艦砲射撃で丸裸にされてしまうのだが、周辺の島は攻撃されることなくサトウキビの島として残った。

 戦争が終わって、沖縄の人たちはもとの生活に戻った。サトウキビ栽培だ。だがある日突然、そこに米軍のブルドーザーがやって来て畑を潰し、住民を銃で脅して追いだした後、フェンスで仕切って基地にしてしまう。沖縄の人たちは生活の糧である土地を奪われた。これが現在の沖縄反基地闘争の根っこにあるのだ。

 「基地がある土地については、地主に地代が払われているではないか」と言う人もいるだろう。だがそれは、土地を奪われた人にしてみれば筋違いの反論だ。他人のものを盗んでおいて、それをとがめられたら「金を払えばいいんだろう。文句を言うな」というのはおかしい。まずは奪い取ったものをもとの持ち主に返すことだ。話はそれからではないか。

 「米軍基地は既に沖縄経済の一部に組み込まれ、基地なしには沖縄の成長も発展もないではないか」と言う人もいるだろう。だがそれは「盗んだものは借りたことにして賃貸料を払おう。お前はそれで生活すればいい。文句を言うな」という話であって、土地を奪われた人にとってはそれもまた屈辱的な話なのだ。

 確かに基地は金を生む。それによって沖縄の経済が回っている部分もある。しかしどんなに言い繕おうと言い訳しようと、土地を強引に奪い取ったという事実は変わらない。

 沖縄の反基地運動は、沖縄が長く米軍の統治下にあったことで長い長い苦しみを味わい続けた。沖縄の人たちは、沖縄が日本に復帰することさえできれば、基地問題は解決すると思った。日本政府が沖縄の基地返還のため、アメリカ政府に掛け合ってくれると思った。でも日本政府はそうした沖縄の期待を裏切り、今もアメリカのお先棒を担いで沖縄に基地を押し付け続けている。

 普天間基地の辺野古移設については、日本政府には日本政府なりの言い分もあるのだろう。それはわかる。でも沖縄側の意向を無視して強引に調査や工事を進めれば、それはアメリカ軍がブルドーザーでサトウキビ畑を圧し潰したのと同じ心の傷を、新たに沖縄に負わせることになるだろう。

 なぜ安倍政権は沖縄と話し合おうとしないのだろうか。「話し合っても無駄。結論は出ている」という理由で、最初から話し合いの場を作らないつもりなのだろうか。でも今大事なのは「結論」ではなく、話し合うというプロセスそのものにあるのではないだろうか。安倍首相はいったい何を恐れているのか。知事に会って沖縄の窮状を聞かされれば、そこで何らかの譲歩をせざるを得なくなるということなのかもしれない。政府の側も自分たちのやっていることが無茶だとわかっているのだろう。だからこそ話し合いの場を持とうとしないのだ。少なくとも僕にはそのように見える。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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