宗教はラーメンである

ラーメン

 マルクスは「宗教は阿片である」と言ったが、今回のタイトルはそれをもじったわけではない。

 僕は以前から「キリスト教はラーメンである」という言い方をしていた「キリスト教ラーメン論者」なのだが、先日ナセル永野さんの話を聞いていて「イスラム教もラーメンだな」と思った次第。ならば仏教だってそうだろうし、他の伝統宗教についてもおそらく全部同じなんじゃないだろうか。宗教はおしなべてラーメンである。

 キリスト教ラーメン論について簡単に解説すると、それはこういうことだ。

 おそらく日本人でラーメンを知らない人はいないと思う。食べたことがないという人もほとんどいないだろう。誰だってラーメンを知っている。食べたことだってある。でもそこで改めて「ラーメンとは何ですか?」「ラーメンとはどんな食べ物ですか?」と問われると、定義が難しい。ラーメンを食べたことがない人に、ラーメンをどう説明すればいいのだろうか? 例えば「普通のラーメン」ってどんなラーメンだろうか?

 とりあえずマンガ的に記号化されたラーメンとしては、上記イラストのようなものが考えられる。いわゆる典型的な東京風のしょうゆラーメンだ。支那そばとか、中華そばと言われているようなもの。麺の上にはネギ、チャーシュー、ナルト、メンマ、海苔、半分に切った茹で卵、茹でたホウレンソウか小松菜などが載っている。この絵を見れば、これは確かにラーメンだ。

 でも実際に自分が食べるラーメンはどうだろう。こんな典型的にマンガ的なラーメンなんて、ほとんど食べたことがないんじゃないだろうか。近所のラーメン屋で、こんなラーメンを出している店があるのかどうかすら疑問だ。じつはこのマンガ的に記号化されたラーメンは、ほとんど実在しない空想的なイメージでしかない。

 ラーメンの範囲はものすごく広くなっている。以前は「スープの中に麺が入っていて、その上に具が載っている」のがラーメンだったが、この前提は「つけ麺」の登場で消え去った。そのスープだって「油そば」からは消えている。じゃあ「つけ麺」や「油そば」はラーメンではないのか? そんなことはない。これらもやはりラーメンの一種ではあるのだろう。

 「キリスト教とはなんぞや?」というのは、「ラーメンとはなんぞや?」と同じぐらいに難しい話になる。マンガ的に記号化されたラーメンのイメージのように、記号化されたキリスト教のイメージを提示することは可能だが、それは記号化されたラーメンと同じくらい「実在しないキリスト教」になってしまう。でも世の中にはそうした「実在しない記号化されたキリスト教」のイメージが、結構流通してしまっていたりするものなのだ。

 これはイスラムでも同じだし、日本人に馴染みがない分、イスラムの方がひどいありさまなのかもしれない。書店で市販されている雑誌の特集記事や、新書版の「イスラム入門」の類を読んだ程度の知識で、イスラムについて得々と語る人たちが大勢いるはずだ。(僕もその類かもしれないけどね。)「イスラムではこうなんです」「イスラムの人たちはこう考えるんです」という池上彰的な解説も、じつは記号化されたラーメンのイメージみたいなものだと思った方がいいだろう。

 ただ何も前提知識がない人に対しては、やはり「これはこういうものです」というひとつの典型を指示してやるしかないのも事実。それが記号化されたフィクションであったとしても、何も示さないまま「いろいろあってはっきりしたことは言えません」では困ると思うしね。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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