2011年3月11日の敗戦

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 渋谷で試写に行く前に東急ハンズに立ち寄ったら、午後2時46分に全館にアナウンスがあり、東日本大震災の犠牲者を悼んで短時間の黙祷が捧げられた。僕も黙ってうつむいていたのだが、これにどのぐらいの客が付き合うのかと思って周囲を見渡してみると、なんと客ほとんどが同じように立ち止まって頭を垂れている。

 3.11は日本人にとって忘れられない特別な日になっているのだなぁ……と思ったわけだが、ひょっとしたら似た光景はこれ以外にも日本中のあちこちで見られたのかもしれない。

 ところでこの様子を見て思いだした風景がある。それは毎年8月15日の正午、高校野球をやっている甲子園でサイレンの音と共に捧げられる黙祷だ。昭和20年8月15日正午に天皇陛下の玉音放送があり、日本人にとっての戦争は終わった。(そして今も終わったままだ。現時点で70年前の戦争終結が、日本人にとっての戦争の終わりになっている。)8月15日正午の黙祷は、戦争犠牲者たちを悼むものなのだ。

 ここで僕の発想は飛躍する。短時間の黙祷を通じて、8月15日と3月11日がつながりあう。

 昭和20年8月15日は日本にとって太平洋戦争の敗戦となった日で、現在の我々は日本の近現代史をこの日以前と以後とで分けて考える。この日以前は「戦前」で、この日以後は「戦後」だ。

 ひょっとしたら後世の歴史家たちは2011年(平成23年)3月11日以前と以後とで、日本の戦後史を分けるようになるかもしれない。「震災前」と「震災後」、あるいは「原発事故前」と「原発事故後」という具合に……。

 そしてさらにこうも考えたりする。昭和20年8月15日は明治維新で始まった日本の近代化の「敗戦」だった。2011年3月11日は、戦後復興から始まった日本社会の「敗戦」だったのかもしれない。ただしこの敗戦は、戦後処理にずいぶんと長い時間がかかりそうな気がする。

 太平洋戦争後の日本では、進駐軍(占領軍)による強制的な社会改革があった。戦争指導者たちに対する処罰があり、戦争協力者たちの公職追放があり、財閥が解体され、地方では農地改革があり、政治犯が釈放され、新憲法が公布され、女性の政治参加が実現し、身分制度がなくなり、古い家制度が解体された。

 でも3.11はどうだ? 地震や津波は自然災害だが、原発事故は人災だ。この件について、誰かが何らかの責任をとっただろうか? この事故の反省を踏まえて、社会のあり方を大きく変えようという動きはあっただろうか? 事故直後にはいろいろな動きがあった。でも今はすべて元通りだ。

 自民党政権は自分たちが中心になって推進してきたエネルギー政策について、何の反省の弁も述べていない。「原発は絶対に安全だ」「日本の原発で事故が起きることはない」と言い続けて来たことについて、国民に対して何のお詫びも言っていない。それどころか、今では再び日本中の原発を再稼働させようと着々と準備を続けている。

 僕は「原発を即刻全部廃炉にしろ」とは言わないけれど、福島原発の事故についてはきちんとした総括をするべきなんじゃないかと思うぞ。3.11以前に国会議員だった人は、与党も野党も含めて全員が国民に対して土下座して詫びるぐらいの態度を見せるべきなのだ。

 「絶対に起きない」と言っていた事故が起き、「絶対に安全」と言っていた安全が覆されたことで、日本の原発政策はその前提が完全に崩れたと言ってもいい。原発を誘致した自治体はどこも、「事故は起きない」「絶対安全」と言われて原発を誘致したのだ。国民だって「事故は起きない」「絶対安全」を信頼して、原発を受け入れてきたのだ。それが事故でオジャンになったのだから、事故前に戻そうったってそうは行かないだろうに……。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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