東京大空襲70年

あの日を忘れない〜描かれた東京大空襲

 今から70年前の1945年3月10日未明、墨田区や江東区を中心とする東京下町地区に大規模な空襲が行われた。たった一晩でこの地区は丸焼けになり、死者は10万人とも言われているが、現在に至るまで実数がわからない。

 役所も焼けて書類が焼失し、一家全滅になると生存者の証言も得られない。たまたま一家で田舎に疎開していた人たちの中には、東京が灰燼に帰したと知って戻るのを諦めてしまったケースもあるだろう。

 3月10日は陸軍記念日だったので、地方に疎開していた学童生徒たちがずいぶん東京に戻っていたらしい。これがみんな焼け出された。

 死者10万人というのは、広島長崎の原爆に匹敵する被害者数だ。原爆は被爆直後の犠牲者に加えて原爆症でバタバタと人が亡くなり、犠牲者数が今に至るまで増え続けることになる。しかし空襲直後の被害規模で言えば、東京大空襲はそれらに比べて軽微な損害で済んだというわけではない。

 被害状況は直後に撮られた写真が残っていて何となくうかがい知ることができるのだが、空襲の中で何が起きていたのかはわからない。空襲直下では誰もが逃げるのに精一杯で、写真どころではなかったからだ。

 今から10年前、東京大空襲から60年の年に発行された「あの日を忘れない〜描かれた東京大空襲」という本がある。これはその2年前にすみだ郷土文化資料館が体験者から東京大空襲にまつわる「絵」を募集した作品集。200点以上の作品が寄せられたらしいが、この作品集の中にはフルカラーで96名分121点が収録されている。

 この作品集は地図と対照できるようになっていて、絵が描かれた場所がどこだったのかがわかる。僕は70年前の空襲で丸焼けになった、ちょうど同じ地区に住んでいるので、絵と地図を引き比べながら戦争末期に起きた大惨事について考えてしまうのだ。日常的に使っている道や橋、目にする川などが、当時は阿鼻叫喚の地獄絵図だったことを思うと、東京大空襲というのは僕にとってはかなり身近なものに思えてくる。

 犠牲者の仮埋葬について知ったのもこの画集でのこと。以前も別のところで読んだことがあるかもしれないが、活字で読むのと絵で見るのとは大違い。正式の火葬や埋葬が間に合わずに仮埋葬されたまま忘れられた人たちが、墨田区や江東区の学校の校庭や小さな公園にまだ大勢埋まっているはずなのだ。

 東京大空襲は一時期ほとんど忘れ去られていた。戦後の東京は戦前から住んでいた人たちより、戦後に移り住んできた人たちの方が多くなった。焼け跡に再建された街は高度経済成長で姿を変えた。運河や道路も付け替えて街の構造自体が大きく変わってしまった。

 作家の早乙女勝元やエッセイストの海老名香葉子が「東京大空襲を忘れるな」と叫び続けていなければ、本当に歴史の中に埋もれてしまったのではないだろうか。

 東京大空襲から70年ということは、空襲の体験者も全員が70歳以上になっているということだ。広島や長崎でも「語り部」たちの体験の継承が問題になっているが、東京大空襲についてもそれは同じだろう。あと10年たち、20年たてば、東京大空襲の体験を語れる人は誰もいなくなるだろう。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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