少年犯罪報道のジレンマ

中学生殺害 少年立ち会わせ現場検証

 川崎の中学生殺害事件は、主犯格と見られる少年立ち会いで現場検証が行われたようだ。テレビニュースを見たら周囲をブルーシートでしっかり囲い込んで、おそらく中にいる容疑者少年が歩き回っているのに合わせて、そのブルーシートの囲いも移動して行く。

 この囲いは周囲を囲むだけでなく上部もしっかり覆いを付けているので、さながらサーカスのテント小屋のミニチュア版みたいなものになっている。それが中の警官や容疑少年の歩きに合わせて、数人の警官に持ち上げられてあっちにウロウロ、こっちにウロウロしているのだからご苦労なことだ。

なぜ覆いで隠す必要があるのか?

 しかしこれは一体、何のためにここまでする必要があるんだろうか? 少年事件の場合、容疑者の顔や姿は報道することができないことになっている。だから仮に容疑少年が他の成人の事件同様に警官に付き添われて現場検証に出てきたとしても、取材したテレビや新聞はその姿を報じることができない。

 現に今回のサーカスのテント小屋にしても、シートの隙間から中の人影が少し見えている場面については、テレビ局がモザイク処理をしてわからなくしているところがあった。どれだけカメラを回そうと、どれだけ鮮明な映像を撮ってこようと、それを実際には電波に乗せられないのだから、あんな大げさなブルーシートは不要じゃないのか。

 あのブルーシートは、容疑少年を一体誰から守っているのだろう?

ネットで個人情報をさらすのは違法?

 あのブルーシートが何らかの防御を行っているとしたら、それはインターネットに画像や動画を投稿しようとする「個人」からだろう。現在ネットには既に、容疑少年の実名や顔写真、自宅住所などの情報があふれているという話だし(僕自身は興味がないから見ないんだけど)、容疑者の自宅まで行ってネットで生中継した猛者(?)もいたらしい。

 弁護士ドットコムの記事によれば、こうした行為は何らかの法に触れる可能性があるのだという。しかし弁護士ドットコムの記事を読んでも、「ホントか?」としか思えない。

 まず少年法の61条には次のように書かれていて、これがマスコミで少年の実名を報じられない根拠になっている。

第61条 家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であること推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない。

 テレビやラジオなどの放送メディアは『出版物』ではないのだが、それに準じたものとして解釈されているのだろう。放送も出版と同じマスメディアだから、それは何となくわかる。

 でもネットを使った個人の情報発信は、出版物という概念を拡張することで制限することが可能なんだろうか?

 弁護士ドットコムはここで「少年法の規定の趣旨」という話を持ち出して「ネットもダメだ」という話に落とし込もうとしているのだが、法律の趣旨だけであれもこれも制限できるようになったら、法律の細かな規定なんてどれも不要になってしまう。

 こんなことを許したら、法の趣旨を拡大解釈することによって市民生活のありとあらゆる場面を取り締まることが可能になると思うんだけどなぁ……。

 僕は現時点では少年法の規定をもとに、ネットでの個人の情報発信を止めることは無理があると思う。

プライバシー侵害や名誉毀損は?

 同じ弁護士ドットコムの記事では、ネットでの個人名公開がプライバシー侵害や名誉毀損になる可能性も指摘している。プライバシー侵害には3つの条件があるらしい。

  1. 一般人にまだ知られていない、
  2. 公表されると、私生活上の事実または、事実らしく受け取られるおそれがある
  3. 一般人の感受性を基準にして、公開を欲しない。

 しかしこの3条件については、今回の事件の場合まったく問題ないのではないだろうか。川崎の事件は一般に広く知られているし、公表されている内容は事実そのものだし、一般人の多くは情報の公開を欲しているからだ。

公開された人物の社会的評価を低下させるような場合には、名誉毀損に該当し、刑事罰の対象となることもある

 という点についても、人を殺した18歳少年の社会的評価が、これ以上どう低下するというのだろうか? むしろ「少年の実名を出せ」という世間の声は、少年の社会的評価が本来は下げられるべきなのに、それが少年だという理由だけで不当に擁護されていることに対する怒りなのではないだろうか。

 人殺しが社会的に低く評価されるのは、その人が「人を殺した」という事実に由来するのだ。人を殺した時点で、そいつは人殺しであり、人間のくずなのだ。警察にそれが発覚して逮捕されたから「人殺し」になるのではない。報道されて広く名前が世間に知られたから「人殺し」になるのではない。それは人を殺した行為自動的に付いて回るものであり、人殺しの社会的評価は、人を殺したその瞬間に地に落ちている。

 だとすれば、人殺しの名前を公表したことで、その評価がさらにどう低くなると言うのだ? 人殺しを人殺しだと名指ししたところで、それがなぜ名誉毀損になるんだ?

 犯罪の加害者を守るのが弁護士の仕事なのかもしれないが、今回の弁護士ドットコムの記事は腑に落ちないことばかりだよ。

週刊誌はなぜ実名を報じたのか

 新聞や雑誌などマスコミの役割が、今後なくなるとは思わない。ただその情報発信手段は、「紙媒体」から「ネット」に移行しつつある。海外では老舗の新聞や雑誌が、紙をやめてネットに完全移行してしまった例も多いのだ。日本でもやがて同じようなことが起きるだろう。

 そのとき少年法は紙媒体にルーツを持つメディアに対しては「少年の実名を報じるな」と命じるが、まったくの個人がネットで少年の実名をさらしても手も足も出ない。これっておかしくないか?

 今回の事件では一部の週刊誌が少年の実名や写真を出しているのだが、これはこうした「情報バランスの悪さ」に対するいらだちも背景にはあったのだと思う。週刊誌が報じる前から、ネットの中では少年の名前も顔写真も公開されていたのだ。それを放置したまま「紙媒体は同じことやっちゃダメよ」というのが、紙媒体に対する不当な制約でしかないように思う。

 既に人々の情報収集手段の多くはネットになっている。昔はわからない言葉があれば「辞書を引け!」と言われたけど、今は「ググれ!」になっている。昔は何かわからないことがあれば「百科事典を調べろ!」「本を読め!」「図書館に行け!」と言われたけれど、今は「とりあえずWikipediaの該当項目だけでも読んどけ!」ということになっている。

 それでさらに紙媒体にだけ制約を課せば、紙媒体の立つ瀬がないだろう。

 僕は今回週刊誌が少年の実名を報じたのは明らかに法律違反だと思うし、ことさら誉め称えるようなことでもないと思う。しかし週刊誌がこうした行動に出るのは、当たり前だよなぁという感想も持っている。むしろこれは健全なことだろう。少年法の規制にあらゆる紙メディアが従順にしたがう方が、むしろおかしなことだと思っている。

新聞も実名を報じてみてはどうか?

 しかし週刊誌一誌がいくら騒いだってたかが知れている。これは新聞でも名前を報じるところが現れて、国民的な議論を起こした方がいいと思うんだけどな。あるいは少年法の規定を改正して、重大事件に限っては実名報道をすべきだという一大キャンペーンを行ってもいい。

 しかしおそらく、新聞からそういうところは現れないんだと思う。新聞にはもう、そうした国民的議論を起こし行くだけの力も、意気込みも、覚悟もないでしょう。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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