『エクソダス:神と王』を観たよ!

エクソダス:神と王

 『エクソダス:神と王』の感想をTwitterに連続投稿してtogetterでまとめを作ったのだが、途中に漢字の誤変換が何ヶ所かあったので、それを直したものを作りました。これの他に映画瓦版にも感想を書いてます


 『エクソダス:神と王』を観て来た。『十戒』や『プリンス・オブ・エジプト』などと同じ出エジプトの物語を、リドリー・スコットが映画化した歴史スペクタクル映画です。今さら聖書もの? いやいや、これがなかなか面白かった。
foxmovies-jp.com/exodus/

 『エクソダス:神と王』は映像的にも当然面白いのだが(僕は3Dで鑑賞)、それ以上に「信仰の葛藤や矛盾」を描く現代の物語になっていると思う。超自然的な奇跡の物語であると同時に、そこに息づく人間たちが生々しいのだ。 #エクソダス見た

 例えば主人公のモーセは、当初無神論者のような人物として登場する。エジプトの王族として育った彼は、王や神官たちが真剣な顔で行う占いの儀式を冷ややかな目で見ている。目で見たものしか信じない、合理主義者なのだ。 #エクソダス見た

 モーセの態度は彼がエジプトを追放されてからも同じ。ミディアンの地で祭司の娘ツィポラと結婚して子供が産まれても、一族の信仰を冷ややかに見ている。「あれが聖なる山? くっだらねえ!」みたいな感じ。 #エクソダス見た

 一族の信仰を夫に批判されたツィポラは激怒。「息子が神を信じない人間に育ったらどうするの?」「神を否定せずに、それを信じる道も子供に用意しておくべきだ」と言う彼女は、アメリカならどこにでもいる普通のキリスト教徒みたいなものだと思う。 #エクソダス見た

 モーセはその「聖なる山」での神秘体験をきっかけにエジプトに戻るのだが、かつて夫に「神を否定するな」と言っていたツィポラがこの時は「あなたは頭を打って幻を見たのよ」などと合理的に解釈するのが面白い。さらに「あなたが見たのは神ではない」とさえ言う。 #エクソダス見た

 かつてエジプトで一番の将軍だったモーセは、同胞たちに呼びかけてゲリラ戦を展開。エジプトの軍隊相手に戦っても多勢に無勢で勝ち目がないので、市民生活を脅かして王に圧力をかけようとする。でもこれって、テロリストの論理ですがな……。 #エクソダス見た

 ヘブライ人のテロに対してエジプト王は、見せしめの処刑と、ヘブライ人居住区の無差別殺戮で対抗する。ヘブライ人居住区に突入した軍隊が、手当たり次第に人々を虐殺していく。これもまた、今なお世界各地で見られる光景。 #エクソダス見た

 ゲリラ戦を戦うモーセの前に現れた神は、「そんなやり方じゃ自由になるのに一世代かかるぞ」と言う。モーセは「そのつもりだ!」と答える。これもまた今なお世界中のあちこちで見られる光景だろうが、モーセのゲリラ戦のくだりではどうしても現在のパレスチナを連想する。 #エクソダス見た

 貧しいヘブライ人居住区の様子は、古代のエジプトというより、現在も世界各地にある低所得者たちのスラムにそっくりだ。『エクソダス:神と王』は、今現在の世界が紀元前1300年の世界に投影されている。 #エクソダス見た

 エジプトによる強制労働の末に死んだヘブライ人たちの死体が野積みにされ、それが次々火の中に投じられる場面はアウシュビッツみたい。ヘブライ人はユダヤ人の祖先なわけで、ここでは3000年以上の時を超えるユダヤ人の苦難が描かれる。 #エクソダス見た

 でも同じような大迫害はユダヤ人以外にも起きている。日本人だって終戦後にシベリア抑留でひどい目にあった。強制労働を強いられた抑留者たちは、かちんかちんに凍り付いた仲間の死体を野積みにし、春になってそれが溶けて腐ってくるとガソリン撒いて焼いたそうだ。 #エクソダス見た

 『エクソダス:神と王』が描いているのは紀元前1300年のエジプトではなく、現在我々が住んでいるこの世界なのだ。だからそこで生きている人間たちも、現在の我々と変わらない。モーセの無神論も、ツィポラのある意味で世俗化している信仰も、現在ありふれたものだろう。 #エクソダス見た

 『十戒』のチャールトン・ヘストンに比べると、『エクソダス:神と王』のクリスチャン・ベールは悩みが深い男だ。自分が神のために働いているという確信はある。だが自分の行動のすべてが、神の意に沿っているとも思えない。 #エクソダス見た

 エジプトを脱出したモーセが進むべき道に迷う場面は、ひょっとするとこの映画のハイライトなのかもしれない。「この道を行けと神は命じているのか?」と問うヨシュアに、「そうだ。この道で間違いない」と答えるモーセ。でもそこに神はいない。これはモーセ個人の考えなのだ。 #エクソダス見た

 モーセは最後まで合理主義者で、自分の理性的な判断を頼り続ける。「自分は神に守られているから大丈夫」とか「最後は神が何とかしてくれる」と信仰の上に開き直れないのだ。 #エクソダス見た

 リーダーは悩むが、石に刻まれた言葉は悩まない。人々はやがて石の言葉に従って歩む。石の言葉は何があっても揺らがず、動じず、悩んだり葛藤したりすることもない。それに従うことに、人は安心を覚えるだろう。だがそこにもう、神はいないのだ。 #エクソダス見た

 映画の中でヨシュアの父ヌンを演じていたベン・キングズレーは、1995年のテレビ映画「モーセ」でモーセを演じたことがある。これはダイジェスト版が日本でもDVD発売された。 #エクソダス見た

 昨年の『ノア 約束の舟』も旧約聖書の物語だったが、「神の声を聞いた男の葛藤」という点では共通点がある。チャールトン・ヘストンの時代と違って、現代人は「神が望んでいる」「神の命令だ」では素直にそのまま動けないのだなぁ。 #エクソダス見た

 世界では「神の命令だ」で残虐行為を平気で行うイスラム国の台頭が問題になっている。『エクソダス:神と王』はそうした時代の中で、「信仰とは何か」を問う作品になっていると思う。 #エクソダス見た

 『エクソダス:神と王』は面白い映画なのだが、先行する『十戒』や『プリンス・オブ・エジプト』に比べるとドラマが弱いと思う。それは「エジプトVSイスラエル」という葛藤ではなく、モーセの内面的な葛藤に焦点が当てられているからだろう。 #エクソダス見た

 外面的なドラマは「エジプトVSイスラエル」なのだが、エジプトで王族の一員として育ったモーセにとっては、エジプト人もまた自分の同胞なのだ。この映画では「モーセ率いるイスラエルとエジプトの対立」とういう対立が生まれない。 #エクソダス見た

 モーセ時代のエジプト王はラムセス2世というのが『十戒』以来のお約束で、今回の映画もそれを踏襲している。映画ではラムセスが一粒種の我が子を失って嘆くのもお約束なのだが、実際のラムセスは大勢の妃と側室の間に、111人の息子がいたらしい(娘は69人)。 #エクソダス見た

 ラムセス2世は建築マニアで、新しい都や神殿を次々に作った。(その様子は今回の映画にも登場する。)この大規模建設作業に、ヘブライ人の奴隷が大量動員されたと考えられている。 #エクソダス見た

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 映画 タグ:

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