自虐史観と自尊史観の歴史認識

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 日記へのアクセスが急に増えたので何かと思ったら、「日本を愛するキリスト者の会と自虐史観」の記事に外部からリンクを貼っていただいたようです。1日100件ぐらいのアクセスがデフォのサイトにいきなり何百件も新規アクセスがあって驚きましたが、まあこういうのは数日で落ち着くんでしょうけどね。新しく読者になってくださってくださった方がいるなら、今後ともヨロシク!

 せっかくなので、もう少し歴史問題について書いておきます。

 今回「自尊史観というのはなかなかウマイこと言いやがる」みたいなコメントもいくつかいただいたんですが、「自尊史観」というのは別に僕の造語ではなく、自虐史観への対義語として何年か前から少しずつ使われている言葉だと思います。自虐史観の対義語として「皇国史観」を持ち出す人もいるので、あまり広まっているわけでもないみたいですね。

 でも「日本はすごかった!」の類を皇国史観と呼ぶのは、僕はまったく違うと思っているのです。いわゆる自虐史観を攻撃する人たちは、はたして「天皇家の歴史」という視点からそれを攻撃してるわけ? そうじゃないでしょ。自虐史観に対する攻撃は、それほど体系化されたものでもないし、何らかの思想的なバックボーンを持つものでもないと思うのです。それは単に「日本についての悪い話は一切聞きたくない!」というだけのことでしょう。

 自虐史観だと攻撃されている人たちが、人間の歴史を「発展し進化していく物」ととらえているのであろう……という話を前回書きました。科学技術が進歩していくように、思想も政治も国際関係も進歩していく。大前提として「未来は明るい!」というのがあるわけです。未来は明るいのだから、それに引き替え過去は暗い。過去が暗ければ暗いほど、未来の明るさが引き立つからです。結果として、過去はことさら暗くて陰惨な物として語られる。しかしそれは、「未来は明るい!」という夢と希望の物語なのです。

 歴史の中の暗部を悪し様に言うのは、「それに比べて今はどうだ」「それを踏まえて未来はどうなるか」という進歩発展の物語としてであって、過去を悪く言ってもそれは現在や未来を誹謗することにはなりません。

 こうした歴史観のルーツは、おそらくキリスト教にあります。キリスト教の歴史観は、人類の歴史を「神の国」の完成に向かう救済の歴史として描いているわけです。世界には良いところも悪いところもあるけれど、人間には原罪があるからどのみち良いことなんてできっこない。人間の歴史は暗い罪の歴史。しかし最終的には神様に救っていただいて、神が統治する国(それが地上における神の国なのか、この世とは別の次元にある天国なのかはわかりませんが)に受け入れられて幸福になる。人類の歴史も、その中で生きる人間の一生も、最終的に訪れる救済に至る険しい道ですが、その先に待っているのは明るい未来です。

 これを換骨奪胎したのが共産主義で、共産主義者も人類の歴史を最終的な理想社会の到来に向けての進歩発展の歩みだと考えた。神はいないから、神の国はやって来ない。だから人間がその理性の力によって、自分たちの手で理想的な社会を作る。神の国到来前の終末に大きな戦いが起きるように、神の国の代替物としての共産主義社会を到来させるためには暴力革命を通り抜けねばならない。共産主義の歴史観は、キリスト教的な歴史観のミニチュア版みたいなものですな……。

 人間の歴史は進歩と発展の歴史であるという歴史観が、かつては広く受け入れられていました。こうした歴史観の中では、ある国や民族が過去に悪辣なことをしていたとしても、それがその国や民族の現在を誹謗していることにはなりません。過去は過去として反省し、それを克服して「明るい未来!」を築けばいいからです。

 こうした「進歩発展型の歴史観」とは別に、「進歩も発展もしない歴史観」というものがあります。もちろん時間の経過とともに社会制度は変化し、技術は進歩発展していくでしょう。しかし人間そのものは何も変わらない。今生きている人間と同じ感覚や感性を持った人間たちが、過去にも同じように生きていたという考え方です。

 人間はまったく変化しないという考えに立つと、現在の人間が立派なら未来も立派なものになるし、現在の人間が立派であるためには過去も立派でなければならないわけです。過去を貶めることは現在を貶めることになり、それは未来を汚すことになる。自国の過去を悪し様に言うのは、現在の国の有り様を悪し様に言うのと変わらない。「自虐だ!」とうことになるのです。

 最近は進歩発展の歴史観が、すっかり時代遅れのものになってしまっています。その結果として「人間はまったく変化しない」「過去を貶めることは現在や未来を貶めることだ」という話になっているのでしょうが、僕はそれもどうかと思うんですけどね……。

 いずれにせよ「自虐史観は反日だ!」というのは、まるでピントのずれた話だということだけは強調しておきたいと思います。日本の過去の歴史を外国人が悪く言うのはどういう意図があるんだかわかりませんが、少なくとも日本人が日本の過去を悪く言うのは「だからそれを反省して明るい未来を作ろう」という話なのです。日本は過去に悪いことをしたから、それを反省して周辺国に謝罪し、よりよい関係を築いていこうというのは、日本に今より良い国になってほしいと願う善意であり、ある種の愛国心だとすら思うのですがね。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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