「映画の奈落 北陸代理戦争事件」を読む

映画の奈落 北陸代理戦争事件

 伊藤彰彦の「映画の奈落 北陸代理戦争事件」を読んだ。1977年に製作された東映実録やくざ映画『北陸代理戦争』(深作欣二監督・高田宏治脚本)のメイキング本だ。ただし『北陸代理戦争』は、数ある東映実録やくざ映画の中で特に有名な作品というわけではない。実録路線で有名なのは、まず第一に『仁義なき戦い』の最初の4作品であり、この映画の脚本を書いた笠原和夫が入念な取材によって作り上げた世界が「東映実録路線」の基本線となっている。しかしその笠原和夫は『仁義〜』4作の執筆で精も根も尽き果ててしまい、会社に命じられた「完結篇」の執筆を高田宏治に譲った。

 ここから高田宏治の「戦い」が始まる。ヒットはしたが批評家のウケが悪かった「完結篇」から、新シリーズである『新仁義なき戦い』への仕切り直し。だが当時量産していた実録路線はたった数年でネタ切れになり、『新仁義〜』も4作目にして行き詰まりかけた。そこでやくざ社会に詳しい東映の進行主任から「すごいやくざがいる」という話を聞きつけて取材したのが、福井県三国に拠点を構えて「北陸の帝王」の異名を持つ、川内組組長・川内弘だった。

 じつは川内組はこの当時、上部組織である山口組系の菅谷組と一触即発の険悪な状況にあった。普通こうした素材は映画から外す。現実の抗争に着想を得ながらも、抗争そのものを直接は描けない(描かない)のが実録やくざ映画の約束事なのだ。だが『北陸代理戦争』は現在進行中の対立を、そのまま劇中に取り込んだ。当時の東映は実録路線が当たってイケイケ状態だ。「実際の抗争を描けば生々しくていい」というのが会社の判断だった。

 出来上がった映画では、川内をモデルにした主人公・川田が権謀術数を巡らして外部勢力を福井から追い出し、来たるべき大きな戦いに向けて「来るなら来い」と啖呵を切る。映画を観た川内は「おれの生きざまがよく出ている」と大喜びしたらしいが、子分たちは映画を観てそのただならぬ内容にぞっとしたという。映画の中の川田(=川内)は、上部組織の菅谷組にケンカを売っているのだ。これはただでは済まされない。絶対に何かが起きる。映画の製作がスタートすると、菅谷組は川内組を破門。映画公開後しばらくしてから、菅谷組系のヒットマンが川内を射殺する(三国事件)。1本の映画が、血で血を洗うやくざ抗争の火ぶたを切らせてしまったのだ。

 「映画の奈落」は『北陸代理戦争』という映画の成り立ちを紹介しながら、映画に描かれた抗争事件とそのモデルになった実際の人物や事件、映画公開後の関係者たちの様子などを克明に描いていく。この本を一言でいえば、「園子温の『地獄でなぜ悪い』は実在した!」なのかもしれない。福井の映画好きのやくざ組長が、同じく映画好きの神戸のやくざ組長と意気投合するが、やがて組織内での地位を巡って対立関係になる。その様子を京都の映画人たちが映画にしたら、神戸の親分が福井の親分を殺してしまったのだ。この本で一番感動的な場面は、親分が殺された後に敵討ちのため大阪に向かった福井のヒットマンたちが、場末の映画館で『北陸代理戦争』を観る場面だ。劇中に流れる千昌夫の「星影のワルツ」を聴きながら、子分たちは死んだ親分を思って号泣したという。

 これを映画化すると面白いものになると思うんだけど、誰か作んないかなぁ。戦後の復興期に勢力を伸ばしたやくざ組織が、日本経済の停滞と同時に外部への拡大から内部での権力闘争に転じる。同じ頃に映画はどん詰まり状態でエロと暴力のキワモノに活路を見出そうとする。「生き残り」を賭けた両者が出会って手を結び、苦心惨憺の末に映画は惨敗、親分も暗殺される物語。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 読書

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