死刑廃止論について

死刑!!

 先日Facebookに書いた記事だが、今後も少し深く考えてみたいテーマなので、少し加筆した上でブログに再投稿しておく。


 凶悪な事件が起きるたびに、僕の気持ちは死刑廃止論に傾いていく。

 死刑廃止論者に対してはしばしば「お前は家族が殺されても犯人が憎くないのか」という意見が寄せられると思うのだが、現実問題として家族が殺されても犯人は死刑にならんもんね……。

 例えば神戸で小学1年生が殺された事件だけど、おそらく犯人は死刑にはならないでしょう。(隠されていた余罪が発見されて、他にも2〜3人殺してたというなら別だけどさ。)ほとんどの場合、人がひとり殺されても犯人は死刑にならんのです。

 殺人事件の犯人が死刑になるためには、人が2〜3人は殺されていることが必要。しかし何の罪もない人が2人も3人も殺されて、生きる価値のないクズみたいな犯人を死刑にすれば、それで被害者感情は引き合うのかね。命の重さに、釣り合いが取れるのかね?

 殺された3人の命が殺した犯人1人の命と釣り合うのだとしたら、殺された側の命の価値は犯人の3分の1しかないってことじゃないか。むしろ犯人を死刑にしてしまうことで、殺された側の命が軽んじられてしまうことになるんじゃないか?

 家族を殺された遺族は、犯人に極刑を望むでしょう。死刑になってほしいと思うでしょう。でもほとんどの犯人は死刑にならない。じゃあそれによって満たされることのなかった家族の報復感情が爆発し、犯人が刑期を終えて出所してきた時に報復殺人が起きたりするかというと、そういう話は聞いたことがない。

 ほとんどの被害者遺族は、犯人が死刑になるという形以外の現実に対しても何らかの折り合いを付けている。苦しいかもしれないけれど、それが現実。そしてその苦しさは、犯人が死刑になればそれで少し楽になるというものでもないように思う。

 仮に家族が殺されて犯人に死刑判決が出たとする。でもその犯人に、死刑が執行されることがまたないんだよな。犯人は死刑の判決が確定した後も、拘置所の中でずっと生きてるわけです。

 日本での死刑判決の確定数と実際の死刑執行の数を比較すれば、ほとんどの死刑囚はじつのところ死刑になることがないまま生涯を拘置所で終えるのです。これを解消するためには、拘置所で何年も未執行のままになっている死刑囚をある時点でまとめて「処置」する必要があるけど、そんなことが現実としてできますか? できっこないんだよ。

 死刑については、冤罪の問題もあるしね。福島の原発事故の後では、日本の原子力政策は大きな見直しを迫られた。でも袴田事件で袴田さんが保釈されても、死刑制度について見直そうという話がほとんど出て来ないのが不思議でならない。

 考えれば考えるほど、死刑制度は不合理で矛盾だらけです。


 先日この元記事をFacebookに投稿したら「じゃあ麻原を死刑にしなくていいと思います?」というコメントがありました。麻原というのはオウム事件の麻原彰晃のことです。死刑制度があるのなら、確かに彼は真っ先に死刑になるべき人間でしょう。しかし現実を見てみれば、麻原は死刑が確定しているものの現時点でまだ刑が執行されていません。ひょっとしたら今後も当分、あるいは永久に刑が執行されないかもしれないのです。

 現在日本の拘置所に収監されている死刑確定者は120人以上。年間の死刑執行はここ10年ぐらいで見ると平均して5〜6人なので、そのペースで死刑執行を行えば全部処刑し終えるまでに60年かかる。しかし一方で死刑判決が確定する死刑囚が年平均で14〜15人のペース。つまり毎年10人ぐらいずつ未執行の死刑囚が増えていく計算なのです。これをどこかのタイミングで、一気に処刑して片付けちゃいますか? そんなことが、今の日本にできるの?

 死刑確定囚の3人に2人は、実際には死刑を執行されません。それが日本の現状です。「死刑があるから凶悪犯の発生が抑止されているのだ」と言う人もいるけど、本当にそうだろうか。ほとんどの凶悪犯は、そもそも自分がやっていることが凶悪だと思っていないし、自分がそれによって捕まると思っていないし、捕まっても死刑になるとは思っていない。そして現実に、死刑判決を受けても刑が執行される確率は3分の1です。

 死刑制度にかりに「正義」があるのだとすれば、現在の日本でそれは「死刑を執行すること」ではなく「死刑判決を出すこと」が正義だとされているようです。死刑判決が出された後に、それが実際に執行されるかどうかは不問とされているのです。ならば死刑制度は残したまま、死刑は執行停止にしてもいいんじゃないの?

 同じように死刑判決を受けながら、ある者にはそれが執行され、ある者にはそれが執行されずに天寿をまっとうするという不公平は、例えば死刑執行を法律によって停止することによって解消するでしょう。これは時限立法にすればいいのです。例えば「今後3年間は死刑の執行を停止する。国会で特別な取り決めをしない場合は、その期間が3年ずつ先に伸びて行く。死刑執行を再開したい場合は執行停止を定めた法律を廃止すること」としておく。

 死刑が確定しているのに執行されていないというのは、ある意味では「違法状態」です。裁判所は刑の執行を命じているのに、法務大臣がそれを止めちゃっているんですからね。こうした違法状態を解消するためにも、法律で刑の執行を一時的に停止するのも悪くないと思うんだけどな。「法の下の平等」が法治国家の大原則なんだからね。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

死刑廃止論について」への1件のコメント

  1. ピンバック: 死刑は廃止してもよくないか? | 新佃島・映画ジャーナル

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