「日本人に『宗教』は要らない」を読む

日本人に「宗教」は要らない

 外出先で読む本がなくなってしまい、近くの書店に飛び込んで購入した本。「日本人に『宗教』は要らない」というタイトルではあるが、著者はドイツ人でありながら曹洞宗安泰寺の住職をしているという人物。仏教の教えを説いている立場なのだから、当然このタイトルには少しヒネリがある。

 このタイトルは「日本人に今さら新しい宗教は要らない」という意味なのだ。日本人は宗教に無関心だが、じつは「無宗教」ではない。生活の中にはさまざまな宗教的伝統や考え方が根付いているのだから、まずはそれを大事にしていくことを考えればいいというのが著者の主張だ。しかし日本はそれほど宗教的なのだろうか? これはその社会の中で生まれ育った人にはわからないが、ドイツでキリスト教牧師の家庭に生まれ育った著者には、日本はとても宗教的な社会に見えるらしい。

 キリスト教は教義や教理が前提で、信仰さえあれば実際の行動はどうでもいいような面がある。だが仏教、特に禅宗では、教義よりも日々の修行を重んじる。修行の中心は座禅だが、禅宗においては日常の生活すべてが修行であり、食事を作るのも、掃除をするのも、庭の草むしりをするのも、すべてが等しく仏道修行なのだという。生活全体から自分自身の心を律していくという姿勢は、禅僧ならずとも日本人の生活全体に行き渡っている考えでもある。だから日本では、学校でも生徒に掃除をさせたり、給食の配膳をさせる。それが生徒の情操教育になる、つまり生徒の心を育てることに役立つという考えがあるのだ。日本人にとっては当たり前のことなのだが、これは少なくともドイツにはまったくない考えらしい。

 著者は初期仏教の伝統を色濃く残すテーラワーダ仏教も引き合いに出しつつ、社会の変化に合わせて実践を変化させていった日本仏教も間違いなく仏教であり、現代人にとっては日本の仏教の方が優れていると言う。しかしこれは日本仏教を単に礼賛しているわけではなく、現代の日本では寺院経営が大変であることや、世襲によって外部からの参入に対して閉鎖的であることなども指摘している。仏教の基本的な教えである「諸行無常」が、社会問題に対する反応の鈍さを生んでいるのではないかという指摘もしている。わりとバランスのいい本なのだ。

 キリスト教が日本に受け入れられない理由の説明にはちょっと肯けないものもあるのだが(循環論法になっているような気がする)、総じてわりと面白く読める本だった。図書館で著者の他の本も探して読んでみようと思う。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 読書

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