朝日新聞問題に興味はないが

朝日新聞デジタル

 朝日新聞は一連の誤報問題で日本中からぶっ叩かれてますが、僕自身は今さらそういうことには興味ないので別の話をする。それは朝日新聞が仮に今回の騒動で大きく部数を落とした場合、各地域の新聞販売店は経営を維持できなくなるかもしれない……という話と、そこから先に何が起きるかという話だ。

 現在大手の新聞は、新聞社と契約した系列の新聞販売店によって宅配されるのが基本だ。読売新聞には系列の販売店があり、そこは朝日新聞は扱わない。朝日新聞には系列の販売店があって、そこでは読売新聞は扱わない。毎日新聞、日経新聞、東京新聞、産経新聞あたりになってくると、発行部数が少ないので他の新聞との相乗りもあるのだろうが、読売や朝日は人口が少ない地方などに行けば別だろうが、原則として編集発行から配達までが一直線につながった形になっていると思う。

 じつはこの形態、かつての日本映画にそっくりなのだ。日本映画も昔は、製作と配給、そして興行までが一直線につながった垂直統合モデルでビジネスを行っていた。映画会社は全国各地の直営館はもちろん、各地の興行会社と契約して、独占的に自分の会社の映画だけを上映するようにしていたのだ。東宝の映画は東宝系の劇場で、松竹の映画は松竹系の劇場で、東映の映画は東映系の劇場で上映された。これをブロックブッキングと呼ぶ。しかし現在の興行は、必ずしもこうした形にはなっていない。現在映画興行の主体となっているシネコンは、ひとつの興行会社で東宝も松竹も東映も角川もその他の洋画も、すべてひとまとめに上映してしまうのだ。これをフリーブッキングと呼ぶ。(まあとりあえず、今回はその程度に理解しておいてください。)

 現在の新聞配達網というのは、映画で言えばブロックブッキングになっているわけだ。だがこれはいずれ映画と同じように、フリーブッキングに移行していく。各地域の新聞配達店は統合されて、ひとつの販売店で読売も朝日も日経も配達するようになるだろう。新聞の発行部数は各社とも減少していくのだから、新聞販売網を維持しようとすればそうせざるを得ない。これは地方から少しずつ進んでいることで、これから先はそれが都市部にも及んでくる。朝日新聞が今回の問題で大きく部数を落とせば、地方都市レベルでもそうした例が出てくるかもしれない。新聞配達網の統合が推進されるわけだ。

 ではこうした新聞販売店の統合が起きてきた時、新聞販売店の業界はどうなるか。彼らは全国に張りめぐらされた宅配網を使って、別のビジネスをはじめるかもしれない。現在は折り込みチラシが販売店の大きな収入減になっているわけだが、折り込みチラシが入れられるなら、別のものだって配達できるはずだ。僕は新聞というのはネットに食われて今後どんどん利用が減っていくと思っているのだが、各地域のチラシはまだニーズがあると思っている。だから今後は新聞販売店に対して、「折り込みチラシだけ毎日配達してくれ」という客が出てきてもおかしくないと思うのだ。月に300円ぐらい払ってもいいから、折り込みだけ配達してくれないかなぁ……。

 あとは大手の宅配便業者と結びついて、朝刊と同じ時間にメール便で荷物や文書を配るというビジネスもあり得るかもしれない。新聞販売店は毎日朝夕新聞を配達をしているので、ポスト投函のメール便については新聞販売店に配達の委託をすると利便性が増すかもしれない。映画館も最近はODSと言って、映画以外のデジタルコンテンツを積極的に劇場で上映したりしている。それと同じように、新聞や折り込みチラシ以外のものを配達して収益を上げようとするビジネスが、今後は増えてくるように思う。

 いずれにせよ、毎日朝と夕方に日本全国で各戸のポストまで新聞を配達して回る新聞配達網は、それを外部にオープンにすることで大きなビジネスチャンスが広がるように思う。これは大きな社会インフラなのだ。

 映画業界が製作配給と興行に分離したように、新聞業界も編集発行と配達網がビジネスとして分離すると思う。それによって新聞社は販売店に気兼ねすることなく、大々的に電子版の発行ビジネスを押し進めることができるようになる。現在の電子版の値付けは、明らかに販売店に遠慮してのものだ。印刷や宅配にコストがかからなくなるのだから、本当なら新聞の電子版は宅配される新聞の半分以下になってもいいはずなのだ。

 新聞社は「新聞ビジネス」を維持するために大変な思いをしている。でもそれは印刷した新聞を全国に届けて、販売店を通じて各戸に配達するというところまで含めた大がかりなビジネスなのだ。新聞社はこれを改めて、取材や編集によって記事を作りそれを売るという「コンテンツ制作ビジネス」に集中していった方がいいと思う。

 いきなりそれを改めるのは大変だろう。新聞の発行部数が今後大きく伸びることは考えられず、新聞は先行きの暗い先細りのビジネスだ。現在の新聞社の経営は、この発行部数の低減を少しでも食い止めようという「守り」のものになっている。でもそれはやがて来る「終焉」を、少しずつ先送りにしているだけなのだ。ドラスチックな改革は望めない。

 しかし何らかの事件が起きて新聞の発行部数が短期間に激減するようなことがあれば、新聞社は大がかりな構造改革に向かうかもしれない。そういう点で、僕は今回のドタバタで朝日新聞の部数が激減することを期待していたりする。朝日に潰れて欲しいわけではない。むしろ逆だ。追い詰められた新聞社が火事場の馬鹿力を発揮して、生き残りのためになりふり構わずこれまでの慣行を破っていく様子を見てみたいと思う。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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