イエスは何を教えたのか

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 仏教の話が続いたので、ついでにキリスト教の話もしておく。僕自身は仏教についてはまったく不案内で、現在少しずつ勉強を始めたばかり。それに比べればキリスト教の方が少し詳しくて、何となく景色の見通しが立つようになってきているのかなぁ……ぐらいの感じになっている。

 キリスト教の教えは、その前提になっているユダヤ教的な世界観がわからないと理解しにくい。キリスト教はユダヤ教の教えの上に、イエスが説いた教えが乗っかり、さらにその後から弟子たちの教えが乗っかって成立している。今回はユダヤ教の教えと、イエスの教えについてごく簡単にご紹介しておく。

 ユダヤ教的な世界観というのは、ごく単純に言えば「正義は必ず勝つ!」というものだ。

 ただしこれは単純な勧善懲悪ではない。ユダヤ人というのは中東世界の中では、マイナーな弱小民族だった。何しろ周囲に、バビロニア、アッシリア、エジプトなどの大帝国が控えていて、そのパワーバランスの中でかろうじて民族的な独立を保っていた人たちなのだ。「正義は必ず勝つ!」が単なる勧善懲悪で「ユダヤ人は神に選ばれた正しい民だから偉い!」というものだったとしたら、ユダヤ人はとっくの昔に他民族に打ち勝って世界の支配者になっていなければおかしい。ところが実際には、ユダヤ人は何度も他民族の圧迫によって苦汁をなめ、民族離散も味わい、民族滅亡の危機にもさらされている。

 そこでユダヤ人たちは考えた。「正義は必ず勝つ!」のだから、絶対的な正義である神は最終的に必ず勝利する。だがそこに至る過程では、一時的に悪が勢力を伸ばしたり、正義を求める民(神を求める民)が迫害されることだってあり得るのだ。しかし「正義は必ず勝つ!」ことは揺るがない。いつの日か必ず、この世界から悪は一掃されて、神の支配のもとで正しい人たちが平和に暮らせる日がやって来る。1世紀初頭、ナザレ出身の巡回伝道者イエスが弟子集団を従えて巡回伝道を始めた頃、パレスチナのユダヤ人たちはそんな風に考えていた。

 イエスは人々にこう教えた。「時は満ちた。天の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と。これは「神が勝利する日は近い! だから神の支配する世にふさわしい生き方に改めよ!」という意味だ。絶対的な正義である神は、悪を憎み、少しの不正も見逃さない。だから神の勝利の日が近い今この時には、悪を離れて正しい生き方を始めなければならない。この世は悪に充ち満ちている。悪の世で利益を得ているのは悪党たちばかりだ。正直な人たちは、その悪党に虐げられ苦しんでいる。だが「正義は必ず勝つ!」のだ。正義の神が完全な勝利を収めたその時には、今この世で悪事を働き利益を得ている連中は地獄の苦しみを味わい、逆にこの世でそれらの悪党に苦しめられている人たちは平和の中で笑って暮らせるようになる。なんだかまるで中二病的なユートピアだ。

 だが大人はもう少し世の中の裏表を知っている。この世に「正しい人」などどれだけいるだろうか? 誰だって多かれ少なかれ、ごまかしたり、ずるいことをしたり、卑怯なことをして生きているのではないか? 「わたしは何も悪いことはしていません」なんて人がいたら、そいつはとんだ嘘つきだ。神が完全な正義で少しの不正も見逃さないのだとしたら、こうした嘘つきこそが真っ先に地獄行きだろう。だがその結果、この世のあらゆる人間が罰せられることになるのではないか? 神の支配する国に入れる人は、いったいどれだけ残ってるんだ?

 だがイエスもそのぐらいのことには気づいていた。だから彼はこうも教えた。「自分の不正を神に目こぼししてほしいと思う者は、自分の周囲にいる他人の不正を目こぼししてやれ。そうすれば同じだけの目こぼしを神から受けることになる」「不正を見て見ぬ振りするのと、目こぼしするのは違うぞ。神は虐げられている人や弱い人の味方だ。ならば神の支配する国に相応しいのは、虐げられている人や弱い人を助けようとする人だからな」。そしてこう言った。「自分が誰かから害を受けたとしても、その相手をゆるしてやれ。敵をゆるせ。いや愛してやれ。そうすれば神はそれに応じてあなたの罪をゆるして、愛してくれる」と。

 イエスはなぜこんなことが言い切れたのか。イエスは自分が神と特別な信頼関係で結ばれていて、自分の言うことは神のお墨付きが得られると信じていた。そして自分の弟子や周囲の人たちに、「神を信じているなら、わたしの言うことも信じなさい。わたしの言うことを信じてその教えを守るなら、神はその人に必ず目をかけてくれる」と教えた。(イエスは死後に神格化されて神自身になってしまうのだが、イエス自身にそこまでの思いがあったかどうかは不明。ただし自分と神の間に、他の人との間には存在しない決定的な関係性があるとは考えていたと思う。)

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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