釈迦は何を教えたのか?

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 仏教についてはまだ勉強中でわからないことも多いのだが、現時点で「お釈迦様が言ってたのは要するにこういうことかしら?」と思っているのは次のようなこと。

 まず大前提なのだが、世界は日々刻々と変化していて一箇所に止まることがない。季節は巡る。毎年同じように春夏秋冬を繰り返しているようにも見える。だが去年の夏と、今年の夏は違うし、来年の夏もまた違う夏になるだろう。世界では似たことが何度も繰り返されるが、しかしまったく同じということはない。空に浮かぶ雲の形が二度と同じ形にならないのと同じように、世界も変化し続けて同じことは繰り返されない。

 次に、世界が変わっているなら、その中にいる個々の人間もまた変わっていく。生まれたばかりの赤ん坊が、ずっと赤ん坊のままでいることはない。生きていれば年を取る。成長する。赤ん坊は子供になり、子供は大人になり、やがて老いていく。1年前のわたしと、今年のわたしは違う。昨日のわたしと、今日のわたしは違う。「わたし」は変わらないと思っていても、その自覚がないだけでじつは変わっている。10年前に好きだった音楽と、今好きな音楽は違う。5年前に好きだった人と、今好きな人は違う。「わたし」が変わらないと思っているのは単なる思い込みで、自分もまた変わっているのだ。

 しかし人間は「変わらない」ことを好む。頭では「変わる」と認識していても、心の奥底では「変わらない」という前提で物事を考えたり判断したりしている。だから「変わる」「変わった」という現実を目の前に突きつめられると、自分の意識とのギャップを調整するのに苦しむことになる。ずっと若いままの人間なんていない。ずっと健康な人間なんていない。死なない人なんているはずがない。でも年を取って自分の身体機能が衰えてきたとき、人間はやはりショックを受けるのだ。病気になれば落ち込むし、重い病気で死期を宣告されるとそのショックで自殺してしまう人もいる。放っておいてもどうせ死ぬのに、なんで急いで死ぬ必要があるんだろう……と思うのはその人が健康だからなんだろうな。

 「今のままがいい」と思っても、世界は変わり、自分も変わる。逆に「今のままは嫌だ」と思っても、世界は自分の思うとおりには変わってくれないし、何よりも自分自身が思うようにならない。自分の中にある「こうでなければ」というこだわりを捨てて、変化していく世界や自分自身をありのままに受け入れれば、人間の苦しみは消えてしまうだろう。これが仏教の四諦で言うところの、苦諦・集諦・滅諦までの教えなんだと思う。

 じゃあ実際にどうやって世界を受け入れられるようにするかという教えが道諦で、具体的には八正道の教えを守って修行することに励むようにお釈迦様は教えている。しかしこれは「実践」の話なので、僕には正直よくわからないですね。お釈迦様は優れた修行者でもあったから、自分の考えが正しいことを自らの実践を通して会得していたのだと思うけど……。

 八正道についてはそのうちまたまとめる。他にも十二因縁だとか、四法印だとか、仏教は本当に4の倍数が好きだな。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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