映画のデジタル革命とは何だったのか?

フィルム

 「1920年代のトーキー革命に匹敵する!」と言われた映画のデジタル化だが、現在そのプロセスは一段落したように思える。

 映画製作の現場はデジタルが標準になった。フィルムを使うと「あえてフィルムで撮りました」や「今でもフィルムにこだわってます」とそれ自体が話題になるくらいだから、何も言っていなければデジタルなのだ。もっともこれは、スチルカメラの世界がフィルムからデジタルに移行したことから、いずれはこうなることが目に見えていた。今は「フィルムの質感」にこだわる映画人も多いが、いずれはフィルム特有の質感をデジタルで完全再現することが容易になり(既に再現は試みられているが完全ではないのだろう)、こうした「フィルムとデジタルの画質の違い」を論じるのはナンセンスなことになるに違いない。

 そもそもフィルムで撮影した映像をデジタル変換してデジタル映写機でスクリーン上映すれば、ちゃんとフィルムの質感の映像になるのだ。これはフィルムの質感をデジタル情報に置き換えられることを意味している。いずれ近いうちに、フィルムは映画の撮影現場から完全に姿を消すに違いない。

 映画館には一通りデジタル上映機が行き渡ったようで、デジタル化が難しい零細映画館の閉館や、寄付を募ってのリニューアルなどが話題になったりしている。しかし上映環境のデジタル化で、一体何が変わったのだろうか。一番目立った変化は「3D映画」の増加だが、今のところこれが今までの映画をすべて置き換えるほどの力を持つとは思えない。

 トーキー映画は1927年に最初の長編『ジャズ・シンガー』が公開された後、1930年頃には世界中で無声映画を駆逐して映画はすべてトーキーになった。これがトーキー革命だ。トーキー革命は観客にそれまでとはまったく違う映画体験を提供するようになった。それまで無声(サイレント)だった俳優たちが、喋る(トーキー)ようになったからだ。だが映画のデジタル革命は、こうした映画体験の本質的な変化を観客に提供することがない。

 映画のデジタル革命は、映画流通の変化なのだ。映画館には重いフィルム缶ではなく、デジタルパッケージされた映画のデータが届けられるようになる。(場合によってはこうしたデータのやりとりが、通信回線を通じて行われる。)家庭用の映画市場ではビデオカセットやDVDなどのパッケージから、インターネットを通じたオンラインレンタルが主流になっていく。人気作の貸し出し中はないし、マイナーな作品もカタログにさえ載っていればいつでも自由に観ることができる。

 映画はこれまで大衆を相手にしながら一度により多くの観客をつかみ取ろうとするビジネスだったが、これが書籍などと同じロングテールのビジネスになった。映画会社のフィルムライブラリーは、一度作品のデジタル化を済ませてさえしまえば、理屈の上では未来永劫無限の富を生み出すようになったわけだ。

 でもこれは観客にとって、どれだけの意味を持つ「革命」なんだろうか。僕にはそれがよくわからないなぁ……。

 ひょっとしたら現在の「デジタル革命」はまだ本格的な変化の序章に過ぎず、これから本格的な革命の幕が開くのかもしれない。でもどうなのだろうか。僕は映画や映像の歴史の中では、映画撮影、上映、流通のデジタル化よりも、YouTubeなどの動画投稿サイトの方が大きな事件として記憶されていくような気がしている。これは映画やテレビと同じ、新しい映像メディアのプラットフォームになっている。

 なんかまとまりがないけど、風邪気味で熱っぽい頭でそんなことをぼんやりと考えている。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

映画のデジタル革命とは何だったのか?」への1件のコメント

  1. ピンバック: 1927年のトーキー革命 | 新佃島・映画ジャーナル

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