「ゲノムと聖書」を読む

ゲノムと聖書

 フランシス・コリンズの「ゲノムと聖書:科学者、〈神〉について考える」を読んだ。原著は2006年に出版されているが、この当時の著者の肩書きは米国国立ヒトゲノム研究所の所長(1993〜2008)で、現在はアメリカ国立衛生研究所の所長を務めている人物。言うまでもなくアメリカで最高の科学者のひとりだ。本書はその著者が自らの研究がどのような意味を持つものなのかを一般向けに優しい言葉で語った解説書であり、同時に自らのキリスト教信仰について語った本でもある。

 「進化論と創造論のどちらが正しいのか?」という議論はほとんどアメリカローカルで盛り上がっている話題であったりするのだが、どういうわけか日本でもそれ関連の本が何冊も訳されていて、この論争の存在についてはよく知られている。リチャード・ドーキンスの一連の本、例えば「神は妄想である:宗教との決別」は無神論の立場から信仰を攻撃的に否定する本であり、こうした科学万能型の無神論に対する不可知論の科学者からの反論がスティーヴン・ジェイ・グールドの「神と科学は共存できるか?」で、信仰者である科学者からの反論が本書「ゲノムと聖書」ということになるのかもしれない。(神学者からの反論はマクグラス父子の「神は妄想か?:無神論原理主義とドーキンスによる神の否定」がある。)

 僕自身、信仰もないクセにこうした論争に興味があったりするのだが、一連の本を読んで一番パワフルだと感じたのはやはりドーキンスの本だった。ただしドーキンスの本は「不可知論」から「無神論」に至る部分に飛躍があり、それを攻撃的な筆致で誤魔化している部分があると思う。スティーヴン・ジェイ・グールドは科学が解明できる世界と信仰による世界の間には明確な不可侵領域があると主張し、科学は科学の範囲で、信仰は信仰の範囲でものを語って、そこからはみ出すべきではないと言う。でもそんなに簡単なものなんだろうか。フランシス・コリンズは有神論的進化論(著者の言葉では「バイオロゴス」)を主張するが、少なくとも本書「ゲノムと聖書」を読んだだけではそれがどのような理論なのかがわからない。

 著者によれば、有神論的進化論は以下のような前提に立っているという。(P.196)

  1. 宇宙は約一四〇億年前にまったくの無から現れた。
  2. 宇宙の物理定数は、生命が生存できるように寸分の狂いもなく性格に調整されているようだ。
  3. 地球上での生命の起源の正確なメカニズムはまだ解明されていないものの、生命が現れてからは、進化と自然選択の過程を通して、長期間を経て生物的多様性と複雑性が発達していった。
  4. 進化の過程が始まってからは、特別な超自然的な介入は必要ない。
  5. 人間もこの家庭の一部であり、類人猿と共通の祖先を持つ。
  6. しかし人間には、進化論では説明できない唯一無二の部分もあり、その霊的な性質は他の生物に例を見ない。これは道徳律(善悪を知る知識)や神の探求などが含まれ、歴史を通してすべての人間の文化に見られる特質である。

 著者はキリスト教的な人格神を信じているようだ。神が個々の人間の人生にコミットし、ごく稀にではあっても奇跡という形で世界に介入する可能性を否定しない。しかし神は生物の進化にはまったくタッチしていないという。生物の進化は突然変異と自然淘汰の結果であって、そこに神が入り込んで何らかの操作をした痕跡はまったくないらしい。でもこれは神が創造の瞬間にだけ超自然的な奇跡の腕を振るい、その後は世界に一切タッチしなかったという理神論とどう違うんだろう……。

 結局著者が「神の存在」を主張する最大の根拠は、歴史や民族を超えて人間が普遍的に持つ「神を求める心」と「道徳律」だけなのではないだろうか。著者の無神論に対する批判は鋭い。だが不可知論に対してはそれほどでもない。「若い地球説」を主張するタイプの創造論は否定され、ID論も退けられる。だがそれらに代わる有神論的進化論に対する説明はやはり弱い。

 何よりも弱いと感じられるのは、著者の言うような有神論的進化論では「なぜキリスト教なのか?」という問いに答えられないことだと思う。人間には神を求める心や道徳律が、生まれながらに普遍的に備わっている……ということは認められるとしても、ではなぜそれが「キリスト教の正しさ」になるのかがわからない。著者も認めている通り、世界中のありとあらゆる民族がそれぞれの神を信じている。その中でなぜキリスト教の神だけが正しいと言えるのだろうか。神を求める霊性や道徳律だけでは、ID論者が言うような「サムシング・グレート」とか、宗教多元論のような結論にはたどり着いても、「聖書の神だけが正しい」「ナザレのイエスは神だった」という主張が合理的な推論の結果として自然に導かれるものではないと思うのだが……。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 読書, 日記

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