ネトウヨの主張は尊皇攘夷

尊皇攘夷

 僕自身はネット右翼(ネトウヨ)なるものの実態が実はよくわからないのだが、ニュースサイトのコメント欄を見ていると、そこで述べられている主張の最大公約数的なものが「それ」なのかなぁ……という印象を受けることはある。

 ネトウヨ的な言論を一言でまとめるなら、それは「尊皇攘夷」ではないだろうか。尊皇とは天皇を尊ぶこと。攘夷とは外夷を打ち払うこと。

 言うまでもなく、これは幕末維新のキーワードだ。幕末に尊皇攘夷をスローガンに討幕運動をしたのが勤王の志士(勤王は天皇や朝廷に忠義を尽くすこと)で、運動の中で多くの士師が命を落とした。彼らは現在靖国神社に祀られていている。攘夷派は幕府の開国政策に反対し、国内から外国人を一掃しようとした。

 ネトウヨ的な言論は「尊皇」である。皇室を敬い、天皇制(天皇という制度)の護持こそが日本という国のアイデンティティ保持に必須であると考える。ただしここで守るべきとされているのは現在の「象徴天皇制」ではなく、明治憲法に定められていたような国家元首としての天皇であるらしい。(それ以前の御簾の向こうに鎮座ましますミカドを思い描いているわけではないようだ。)天皇家は男系男子で継承されるべきで、そのためには現在廃されている側室制度を復活したり、現在は一般人として生活している旧宮家の人たちを皇族に復帰させることも考えるべきだと主張したりする。

 ネトウヨ的な言論は「攘夷」である。国内に暮らす外国人、特に在日韓国朝鮮人を目の敵にしている。これらの外国人が日本で不当な利益を享受していると主張し、外国人が多く住む地域や外国人学校の前で排外主義のデモ行進をする。こうした自分たちの主義主張に反対する者に対しては、「日本人じゃない」とか「在日だ」と根拠不明なレッテルを貼ることもある。日本と領土領海を争う韓国や中国、日本人を拉致した北朝鮮を目の敵にし、これらの国に対峙するための防衛力強化を主張する。

 幕末の元祖・尊王攘夷派は明治時代になっても鎖国政策に逆戻りすることなく、むしろ海外の文明に学んで国を発展させる政策を取った。攘夷はうやむやになって、むしろ日本政府は積極的に外国人教師を雇ったりもした。では尊皇はどうなったのか。明治政府は天皇を中心の政府を作ると言いながら、実際には天皇に政治の実権を与えず、政治家たちが政治を牛耳れる仕組みを作り上げた。

 明治の日本はアジアで初の近代化を成し遂げた日本を、欧州と互角対等な関係を築ける文明国にしたいと願った。幕末の志士が掲げた尊王攘夷はかなぐり捨て、明治日本の新しいスローガンは富国強兵と脱亜入欧になった。国を富ませて、兵を強くするのだ。アジアとの関係が悪化しようが、ヨーロッパ近代国家のグローバルスタンダードに合わせるのだ。それが日本の国益になると、当時の日本は考えた。これもなんだか、現代の日本に通じるような……。

 幕末の尊王攘夷は当時としてはきわめて革新的で過激な危険思想であり、であればこそ大弾圧されて多くの刑死者を出したりもした。尊皇攘夷を主張する勤王の志士は、原理主義者の過激派テロリストみたいなものだった。しかしその二番煎じであり劣化コピーと言ってもいいネトウヨ的な言説に、それらに匹敵する革新性があるわけではない。それは幕末明治の成功体験を思い出させる、時代錯誤なノスタルジーでしかない。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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