「黒澤明vs.本木荘二郎―それは春の日の花と輝く」を読む

黒澤明vs本木荘二郎

 藤川黎一の「黒澤明vs.本木荘二郎―それは春の日の花と輝く」を読んだ。戦後の日本を代表する映画監督・黒澤明の名前は誰でも知っているが、本木荘二郎の名を聞いてもすぐにピンと来る人は少ないだろう。じつは本木こそ「世界のクロサワ」を生み出したプロデューサーだ。

 黒澤明とコンビを組んだのは1947年の『素晴らしき日曜日』から1957年の『蜘蛛巣城』までの全作品。この間には『酔いどれ天使』『野良犬』『羅生門』『生きる』『七人の侍』など、誰もが観て「面白い!」「傑作!」の太鼓判を押すであろう作品が目白押しだ。

 彼は黒澤明の専属というわけではなく、藤本真澄(後に東宝副社長、東宝映画社長)や田中友幸(後に東宝映画会長)らと共に戦後の東宝を代表するプロデューサーだった。マキノ雅弘の『次郎長三国志』シリーズなども作っている。かなりのやり手だったのだろう。だが経費のやり繰りに不明瞭なところがあり、1957年に東宝との契約を解除されてフリーになり、その後もこれといった作品が作れぬまま、1960年代から70年代にかけてピンク映画の世界で幾つかの変名を使いながら200本近い映画を監督したという。

 世界の黒澤明を生み出したプロデューサーから、黎明期のピンク映画の監督、最後は他人名義のアパートでほぼ無一文のままのたれ死に……というダイナミックな生涯を送った人だが、この謎多き人物についての資料がじつはほとんどない。黒澤明についての本は山ほど書かれているのに、本木荘二郎についてのまとまった本は藤川黎一のこの本しか存在しないのだ。

 この本は本木荘二郎没後に行われた関係者に対する取材にもとづいているようだが、体裁としては小説の形を取っている。そのためどこまでが本当のことで、どこまでが著者による創作なのかがわからない。文体も持って回った表現が多くて、悪い意味での「文学趣味」が鼻につく。正直言って、あまり読みやすい本ではないのだ。しかしここに収録されている映画人たちのインタビューは、それがどこまで実際の取材を反映したものなのかわからないという保留付きでも貴重なものだと思う。

 本木荘二郎が東宝に契約を解除された翌年、『隠し砦の三悪人』の予算超過に業を煮やした東宝は、黒澤明にプロダクションを設立させて独立させる。商品価値のある黒澤映画を手もとにキープしたまま、金食い虫の黒澤天皇を体よく追っ払うことに成功したわけだ。黒澤はその後も『用心棒』や『椿三十郎』『天国と地獄』などの快作を次々にヒットさせる。だがそれも1965年の『赤ひげ』まで。その後の黒澤明はイバラの道へと踏み込んでいく。

 本木荘二郎が黒澤のもとを去った1957年は、日本映画がピークの時代だった。この翌年、日本の映画人口は史上最高の11億人を突破したが、その後は崖を転がり落ちるようにして景気が悪くなる。東宝というのは何だかんだで機を見るに敏な会社なので、黒澤映画に好き放題金を使わせる本木荘二郎を、黒澤から引き離したかったんじゃないだろうか。

 黒澤映画の名プロデューサー本木荘二郎の謎を追うこの本は、どうしても黒澤明という大監督のダークサイドに振れるものになる。植草圭之助が、谷口千吉が、菊島隆三が、黒澤明を辛らつに批評している言葉が小気味よい。ただしこれもまた、どこまでが取材による本人たちの真実の言葉かがわからない。小説形式がこの本にとっての最大の弱点だ。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 読書, 日記

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