『イントレランス』を観る

Intolerance D・W・グリフィスの『イントレランス』を久しぶりに観た。1916年に製作されたサイレント映画の大作で、グリフィスはこの映画でそれ以前にあったサイレント映画の表現技法を集大成している。映画が誕生して20年ほどでこの映画が作られてしまったわけで、この時代の映画の発展発達の速度がいかに凄まじかじかったかを感じさせられる作品だ。

 ただしこの映画はサイレント映画の中でもだいぶ古い。これから9年後にはエイゼンシュテインが『戦艦ポチョムキン』(1925)を撮るわけだが、そちらの方がずっと表現は洗練されているし現代の映画に近い。『イントレランス』で特に古さを感じるのは、画面の周囲をマスクで黒く覆って一部を隠してしまう技法。こうした表現は、その後どんどん廃れて今ではほとんど使われていない。木下惠介の『野菊の如き君なりき』(1955)にも似たような演出があるのだが、あれは写真館で撮る写真をイメージしたのだそうで、『イントレランス』とは関係ないと思う。

 あと演出上の古さを感じさせるのは、画面上での人物の台詞に該当する字幕が圧倒的に不足していること。1910年代にアメリカ映画がどのように上映されていたのかはちょっとわからないのだが、日本はこうした部分で弁士(解説者)が台詞を補っていたのだろう。これは1920年代になると、映画それ自体で内容が完結するスタイルが好まれるようになり、映像と字幕だけで内容がちゃんと伝わるように改良されていく。サイレント映画もいろいろと演出上の進歩というものがあるのだ。

 IVCの日本語字幕入りDVDは画質が悪い。シャープさがなくてボケボケだし、ハイライトが白く飛んで画像が写っていない部分もあったりする。これはグリフィス時代のフィルム感度が悪かったわけではなく、DVDにするにあたって使用したマスターが悪いのだ。『イントレランス』はKINO社のDVDも持っているが、そちらの方が画質はずっと良い。俳優の表情や、衣装やセットの豪華な装飾なども、細部までかなりはっきりと見ることができる。シーンごとに着色もしてあって、公開当時のフィルムを再現している。KINO社のDVDはリージョンコードもないので、そのまま日本のDVDプレイヤーで観ることができる。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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