「オイッチニーのサン 『日本映画の父』マキノ省三ものがたり」を読む

オイッチニーのサン

 高野澄の「オイッチニーのサン 『日本映画の父』マキノ省三ものがたり」をようやく読み終わった。2006年から翌年に賭けて京都新聞に連載されていた小説の単行本化で、出版されたのは2008年10月。出た直後に購入したが本棚に突っ込んでそれきりになり、先日本棚から久しぶりに取りだして読み始めた次第。PHPから出ていた単行本は、その間に版元品切れだか絶版だかになってしまった。5年以上放置していたから、そういうことも起きるのだろう。ちなみに同時期に山根貞男の「マキノ雅弘 映画という祭り」も購入しているのだが、それもまだ読んでいない。今見たらこれも絶版だか品切れだかになっているのね……。トホホ。まあ今は映画本というものが、そういうジャンルなのかもしれないけど。

 「日本映画の父」と呼ばれるマキノ省三の伝記小説だ。マキノ省三は日本初の映画監督であり、その後の日本の映画作りはすべてマキノ省三を源流としていると言ってもいい。

 世界で最初にスクリーン上映式の映画を発明したのはリュミエール兄弟のシネマトグラフだが、それを日本に最初に輸入したのは京都の実業家・稲畑勝太郎だった。彼は若かりし頃、フランス留学中にリュミエール兄弟の兄オーギュストと同級生だった。明治になって商用でフランスを訪ねた際、彼はかつての級友オーギュスト・リュミエールと再会し、新しい発明品シネマトグラフを見せられる。稲畑はこれに感心して、シネマトグラフを日本に持ち込んだのだ。だが稲畑は自分の本業に打ち込むため、映画興行を知り合いの横田兄弟に委ねてしまう。横田兄弟の弟・横田永之助はこれを自分にとって一生の仕事と決めて横田商会を設立。輸入映画の上映だけではなく、自分で映画を製作するようになった。この時、映画製作の実務を担当したのが、当時京都で千本座という芝居小屋を経営していたマキノ省三だ。

 余談だが、僕は以前映画専門学校で映画史を教えていたことがあるのだが、その時に学校の名誉校長だったのが俳優の津川雅彦(映画監督のマキノ雅彦)だった。日本映画史の話をしているときに「この学校の校長はマキノ省三の孫で、この学校は日本映画史に直結しているようなものだよ」と教えたのだが、それが生徒たちにどの程度伝わっていたのかはわからない。まあ正直、あまりピンとこないわなぁ……。

 マキノ省三は映画との関連で語られることが多いのだが、この本では映画以前に彼が歌舞伎の世界で小屋主として活動していた時代に多くのページが割かれている。これが面白い。当時の京都の芸能界の様子や、松竹兄弟による演劇改良運動、歌舞伎と新派の関係などが、省三の目を通して描かれていくのだ。ここにじっくりと時間をかけているのに比べると、省三が映画に入ってからのドラマは少々めまぐるしくて駆け足になる。おそらく映画以前の話は資料が乏しく著者が想像をからめながらじっくりと描けたのに対して、映画の話に入ってからは資料が多い分、視点が分散して取り散らかってしまったのだろう。面白いのだが、エピソードの断片の羅列になってしまい、大きな物語が見えにくくなってしまったと思う。

 もともとが新聞小説ということもあるのだろうが、記述の繰り返しが多く、説明がくどく感じることがある。これは単行本化の際に本来は大きく書き換えておくべきなのかもしれないが、そうすると構成から直さなければならないところもあって大変だったのだろう。挿絵がいくつか入っているが、当時の写真がないのも残念。サイレント時代の日本映画はフィルムがほとんど残っていないが、スチル写真は多数残されている。それらを適時挿入していけば、映画史の本としてもずっと奥行きのあるものになっただろう。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 読書, 日記

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