電子書籍は本ではない

もうひとつのイプシロン・ザ・ロケット

 JEPAのセミナーでiBooks用の電子書籍「もうひとつの”イプシロン・ザ・ロケット”」の制作舞台裏についての話を聞いてきたが、話を聞きながら「電子書籍はやはり本ではないのだなぁ」という思いを強くした。それはこの「もうひとつの〜」が動画や音声などのリッチ・コンテンツを収録しているとか、インターフェイスが紙を模していないとか、そういう意味ではない。作った電子書籍が、ユーザーの持っている環境に依存してしまうという点が、紙の書籍との大きな違いだと思うのだ。

 紙の本はユーザーの使用環境を選ばない。それを読むための特別な機器は不要だし、出版後何年たっても(印刷インキの退色や用紙の経年変化などはあっても)最初に出されたときと同じ状態で本を読むことができる。でも電子書籍は違う。タブレットやパソコンがなければ読むことができないし、その機器がどんなOSで動いているか、そのOSのバージョンが幾つなのかによっても動作が違ってくる。

 先日別のセミナーで「役所は古い文書をすべて保存しているが、フロッピーディスクに保存されている古いデータなどは、対応する機器やアプリケーションが既にないので読むことができない。やはり紙にプリントしておくのが一番安心」という話が出ていた。これ自体は、さもありなんという笑い話だ。(確か『踊る大捜査線』の映画の何作目かで、同じようなギャグが出てきたと思う。)でもこれと同じことが、電子書籍にも起きる。

 例えば「もうひとつの”イプシロン・ザ・ロケット”」はiBooksでしか販売されていない。iOS専用で、AndroidやKindleやkoboには対応できないのだ。それら別OSの環境に対応しようとすれば、データを新たに作り直さなければならない。またiOSのバージョンや、パソコン版のiBooks登場といった環境変化によって、制作中にデザインの最適化をやり直している部分もあるという。これは今後新たな環境、例えば将来的にAndroidやWindowsパソコン向けのiBooksが登場したとき、この本はそれらの環境では読めないか、読むのに著しい不便や混乱が生じる可能性があるということを意味する。iOSやMac OSXの将来のバージョンでは、フォントの設計なども大きく違ってくるかもしれない。そうすれば現在の固定レイアウトが、そのまま保持できるかどうかも謎だ。

 電子書籍はデータのままでは完成していない。データが電子書籍の閲覧環境(タブレットやパソコン)で再生されて、はじめて本として姿を見せる。でもその閲覧環境を電子書籍の作り手はコントロールできない。「もうひとつの”イプシロン・ザ・ロケット”」のような固定レイアウトの本が、今から先、3年後、5年後、10年後も同じように読むことができるかどうかは誰にもわからない。だが「読めるか読めないか?」でどちらかに賭けるとすれば、僕は読めなくなる方に賭けるだろうなぁ……。

 ただしこれはリッチコンテンツがたっぷり詰まった固定レイアウトの本についての話であって、文字主体のEPUBデータについてはまた別の話になる。EPUBは中身がxhtmlで枯れた技術だから、上位互換性は保持されるんじゃないだろうか。だから「残したい本」や「今後長く売り続けたい本」については、普通にEPUBのフォーマットで作っておくのがいいと思う。EPUBはテキストデータに毛が生えたようなものだもんね。

 セミナーではAppleのiBooks Author‎の簡単なデモが行われていたのだが、これを見た制作会社の人が「iBooks Authorがあれば制作会社は不要になるのか?」という質問をしていたのが印象的だった。これはDTPの世界で昔も同じようなことが言われたわけで、舞台が変わってもまったく同じ歴史が繰り返されている。iBooks Authorが普及していけば、それを使ってデザインするプロが現れるだけだろう。ただプロとアマチュアの差は、今以上に狭まってくる。その差が狭まれば、支払われる金額も少なくなることは間違いないだろうな。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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