日本の右傾化と終末論

黙示録

 「終末論」という思想がある。キリスト教の世界観や歴史観のなかに含まれるもので、一言で言ってしまえば「現在の世界は間違っている。いずれこの間違った世界は終わり、正しい人たちが幸福に暮らせる世界が実現する」というものだ。終末はすべてが終わることだが、それは新しい世界のはじまりでもある。スクラップ&ビルド。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、その何百倍もの実りを得ることはできない。古い酒は古い革袋と共に破棄され、新しい酒が新しい革袋に注がれる。着古された古い外套を脱ぎ捨てて、新しい世界では真新しい衣装を身にまとうのだ。悪は滅びる。正義は必ず勝つ。生き残った正しい人たちは、新しい世界で永遠の幸福を味わい尽くすのだ。

 しかしキリスト教の終末論は、終末をもたらすのも、その後の新しい世界を作るのも、最終的には「神」にその全権を委ねている。その日(終末)がいつ来るか。それは神にしかわからない。新しい世界(神の国)がどのようなものなのか。それも神にしかわからない。でも神は完全に善なる存在なのだから、こんなものは神にすべてを任せておけば問題なし。いずれにせよ、悪いようにはされないだろう……ぐらいに考える。少なくとも伝統的なキリスト教の教派は、長い歴史の中でその程度の穏健さを身に着けたわけだ。

 しかしこうした穏健な終末論では、満足できない人たちが歴史の中には何度も現れる。その代表例のひとつが、マルクス主義の歴史観だ。彼らの主張は基本的なフォーマットがキリスト教の終末論と同じで、「現在の世界は間違っている。いずれこの間違った世界は終わり、正しい人たちが幸福に暮らせる世界が実現する」というもの。マルクス主義はその歴史観の部分において、古代の宗教の基本的な考え方をそのまま継承しているのだ。

 終末論は日本人にはあまり馴染みがないと思っていたのだが、最近になって「日本の最近の右傾化というのは終末論なんじゃないだろうか?」と思うようになった。共通しているのは「現在の世界は間違っている。いずれこの間違った世界は終わり、正しい人たちが幸福に暮らせる世界が実現する」という部分だ。

 彼らは言う。日本は世界の中で不当に扱われている。日本は美しい国、強い国、正しい国なのに、それが諸外国に理解されていない。近隣の中国や韓国が、世界に向けて日本の悪い宣伝をしている。従軍慰安婦も南京大虐殺も本当はなかったのに、日本人の名誉が不当に貶められている。日本社会には外国人が寄生し、国内で起きる犯罪の多くは外国人が関わっているし、年金や生活保護などの社会保障が不良外国人に流れている。近隣国は日本の領土を虎視眈々と狙っている。世界は弱肉強食で、弱い者は食い散らされてしまう。日本がこんなに弱い国になってしまったのは、戦後の日教組教育が悪かった。教育基本法もダメだ。日本国憲法もダメだ。これらは戦後に日本を弱体化しようとする、GHQと共産主義者が作り上げたものだ。日本人は今こそ本来の日本人の姿を思い出さねばならない。強い国、美しい国、正しい国として、世界に誇れる日本にならねばならない。日本を取り戻せ! ……というわけだ。

 でもこれって、結局は終末論の焼き直しなんじゃないかな。ここ何十年かでマルクス主義に代表される左側の終末論はすっかり衰退して滅びてしまったけれど、ここに来て右側の人たちの中に終末論がじっくりと根を下ろしている。僕はこれをとても危険なことだと感じる。マルクス主義の中に「宗教的な熱狂」があったように、最近の右傾化する日本社会の中にも、根拠のない「宗教的な熱狂」があるんじゃないだろうか。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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