BL映画は少女漫画であった!

どうしても触れたくない

 午前中に映画評を書いていたが、全部書き切れないまま午後の試写に。

 1本目はBLコミックの映画化『どうしても触れたくない』。観ていてこれほどまでに小っ恥ずかしくなるのはなぜだろう……と考えるうち、これは物語の構造が昔懐かしい少女漫画なのだと悟った。

 僕はこの映画の主人公にまったく共感も感情移入もできないのだが、試写が終わった後に「何度も泣いちゃいました〜」と言っていた女性たち(なんかそんな声が後ろの方で聞こえたのだ)は、この物語にどっぷりはまり込んでいたはずなのだ。彼女たちは、このダメな主人公に感情移入し、自分自身と重ね合わせている。だからこそ、そこで泣いたり笑ったりできるのだろう。

 『どうしても触れたくない』は、要するにこんな話だ。恋愛下手の主人公がいる。過去の失恋の痛手から立ち直れず、自分に自信が持てず、新しい恋愛に臆病になっている。そんな主人公が出会ったのが、少し年上のイケメン男性。出会ったときの第一印象は最悪だったが、彼の優しい気づかいに触れて、主人公の気持ちはどんどん彼に傾いていく。ふたりで食事に行った帰り、主人公は彼に突然唇を奪われる。そのまま結ばれるふたり。だが彼は都合で遠く離れた土地に引っ越すことに。このまま関係は終わってしまうのか。いや、どうせ彼にとって自分なんてどうでもよかったのさ。うじうじ、めそめそ……。(書いていて気が滅入ってくるような筋立てだなぁ。)

 こんなものは別に男性同士のドラマでなくても成立するだろう。主人公を女姓にしたって、同じ話はまるっきり同じように成立するし、たぶんその方がリアルだと思う。しかし映画(あるいはコミックでもいいけど)にしたとき、自己肯定感が欠如して恋愛に対して徹底的にいじけて卑屈な態度を取るこの手の主人公は、まったく共感を得られないと思う。こんな主人公のような恋愛を、誰もしたくないからだ。でも、実際の恋愛はこうなんだよ。ほとんどの人は、自分の恋愛に絶対の自信なんてない。相手の一挙手一投足に「やっぱりだめか」「どうせ自分は」と卑屈になって、おどおどと恋愛しているわけです。恋愛は、恐いものなのです。

 映画『どうしても触れたくない』は、そんな恋愛のホンネの部分を、男性同士の恋愛という形に変換して描く。BLという形で恋愛のホンネを「他人事」にしてしまうことで、ようやく恋愛の本当のことが語れるのだろう。

 でもやってることが、30年以上前に僕が「なかよし」や「マーガレット」で読んでいた少女漫画と変わらないのだな。クラスの中で目立たず地味なメガネ女子が、クラスの人気男子になぜか好かれて付き合うようになるが、気持ちのすれ違いから「やっぱりだめか」になって、最後はハッピーエンド……みたいな黄金パターンだよ。

 2本目の試写は同じ試写室で『女の穴』。これは面白かった。2話オムニバスだが、特に2話目がいい。3本目は別の試写室に移動して、ウカマウ集団の『第一の敵』を観る。1970年代に作られた政治プロパガンダ映画で、ボリビアにおける白人たちの先住民搾取と、その背後にいるアメリカの姿を描いている。

 続けて試写を3本観ると疲れるのだが、今日は後半2本の映画が面白かったので充実感があった。明日は試写1本で軽く切り上げる。やらなければならない仕事(映画以外)もたまっているので、片付けちゃわないとな。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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