「でんしゃ通り一丁目(1)」を読む

でんしゃ通り一丁目(1)

 「カレチ」「シャーロッキアン!」で知られる池田邦彦の新作「でんしゃ通り一丁目」の第1巻が発売された。単行本5冊で完結した「カレチ」は昭和40年代の国鉄を舞台にした車掌の物語だったが、本作は昭和30年代の都電をモチーフにした1回8ページのショートストーリー。内容は昭和30年代ノスタルジーではあるのだが、出てくる場所がいちいちご近所ということもあって、現代と過去の風景の違いなどが面白い。著者は昭和40年生まれで僕とほとんど変わらないのだが、資料を調べて昭和30年代の風景を再現している。

 昭和30年代ノスタルジーというのは「昭和はよかった」「あの頃は人情があった」「何事ものんびりしていた」という「錯覚」を生み出す。この作品もそれは同じだ。それは作品として人情路線なのだから仕方のないことなのだが、実際の昭和30年代は高度経済成長の真っ盛り。東京でオリンピックが開催されることが決まったのが昭和34年で、それからオリンピック開催までの5年間は東京中が建設ラッシュだった。騒々しくて、ホコリっぽくて、ひどく臭かったのだ。とてもじゃないけど、のんびりなんてしていられない。東京での就労人口増加は、人間同士の交流が乏しい人情希薄な町を作り出した。

 「カレチ」がそうだったように、この物語も「昭和30年代」というだけであとは細かな時代設定が描き込まれていないのだが、「カレチ」ほどには厳密な時代設定をしていないようだ。例えば浅草の雷門が作られたのは昭和35年。渋谷のパンテオンで上映しているのはセシル・B・デミルの『十戒』で、これが日本公開されたのは昭和33年。1万円札の発行も昭和33年。都電の軌道内を自動車が走れるようになったのは昭和34年。まあこんなわけで、物語はごくおおざっぱに「昭和30年代中頃」ということになっているらしい。「カレチ」は細かな時代設定をしたことで、結局は国鉄解体で主人公が仕事を辞めるという寂しい終わり方になってしまった。「でんしゃ通り一丁目」はこのまま「なんとなく昭和30年代」のまま、ずっと続けた方がいいのかもしれないけどね……。

 なおこの本を読みながらBGMにしていたのは、図書館で借りてきた「小津安二郎メモリアル・アルバム」というCD。小津作品のために斎藤髙順が作曲した楽曲を、アンサンブル・フリージアの名義で再録音したもの。1993年発売だから今から20年も前のものだけど、オリジナル・サウンドトラックよりは音が良い。

 同時に「黒澤明 映画音楽全集」というのも借りてきたのだが、これはCD5枚組のボックスセットでした。1991年発売。

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