「反捕鯨はキリスト教」という妄説

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 少し前にアメリカのケネディ大使がイルカ追い込み漁に反対するツイートをしたところ、それに対して日本国内からずいぶんと大きな反発があった。その中にはクジラやイルカの捕獲や、その肉を食用とすることに反対するのは、キリスト教の考えにもとづいているというものがしばしば見られる。キリスト教、捕鯨の歴史、反捕鯨運動の推移などを知っていれば、こんな馬鹿げた説を信じるはずはないと思うのだが、結構いい年をした大人たちまで「反捕鯨はキリスト教」などと言っているのを見かけると暗澹たる気持ちになる。

 反捕鯨運動は1970年代に大きく広まったもので、まだ50年の歴史もない。1940年代に発足した国際捕鯨委員会は1970年代初頭まで捕鯨国中心に運営されていたが、ここに反捕鯨国が次々入り込んで「鯨資源の保護」に傾いていくのが1970年代後半。反捕鯨国は1980年代に委員会の多数派を占めるようになり、これ以降は日本などの捕鯨国の主張がまったく通らない状態になっている。反捕鯨の急先鋒はアメリカだ。

 しかしそのアメリカこそが、かつては世界最大の商業捕鯨国だった。捕鯨はアメリカの文化、アメリカ人の誇りでもあった。ペリーは捕鯨船の補給のために日本に開国を迫り、捕鯨船の船員だったハーマン・メルヴィルの小説「白鯨」はアメリカの国民的文学として今も読み継がれている。捕鯨を当たり前のものとしていた当時のアメリカは、反キリスト教だったのだろうか? まさか! 当時のアメリカは今よりずっとキリスト教が生活の中に根付いていたし、アメリカ人の多くは敬虔なキリスト教徒だった。捕鯨とキリスト教は何の矛盾もしないもので、捕鯨がキリスト教の教えに反するなどと考える人はどこにもいなかったのだ。

 反捕鯨がキリスト教に由来するのだとすれば、19世紀と今とではキリスト教の教えが大きく変わったことになる。キリスト教は近代に入ってから教義を大きく変更して、クジラを人間に近い神聖な動物にしてしまったのだろうか? これは絶対にあり得ない。キリスト教の基本的な教義は千数百年の間、何も変わっていないのだ。キリスト教を取り巻く環境で大きく変わったのは、20世紀後半になってキリスト教の権威が大きく衰退したことだ。

 1960年代以降のカウンターカルチャー(対抗文化)は、それまであった既存文化に対する若者たちの反逆だった。この中でキリスト教も批判にさらされ相対化されていく。世界はキリスト教を象徴する魚座の時代から、新しい水瓶座の時代に入ったと言われた。ミュージカル「ヘアー」では、水瓶座の時代を高らかに歌い上げるテーマ曲「アクエリアス」が大ヒットした。キリスト教の世界支配は終わったのだ。人種の垣根は取り払われた。人間と動物の間に厳格な境界線を引くキリスト教の価値観も古くさい。人間は自然と共生し、自然と共に生きるのだ。

 こうした時代の中で、自然との共生の象徴として持ち上げられたのが「クジラの保護」だった。反捕鯨はキリスト教ではない。むしろ反キリスト教的な文脈の中から出てきたものだ。

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