「神は妄想である」を読み終えた

15208826 図書館で借りていたリチャード・ドーキンスの「神は妄想である―宗教との決別」をようやく読み終えた。貸出期間の2週間では読み切れず、貸出期間を2週間延長して、それでも1日延滞してしまった。まあ最後の延滞分は、天気が悪いから図書館に行くのが面倒だなぁ……みたいな話でもあるのだけれど。

 借りてきた本だし、つまらない本ならどんどん読み飛ばしてしまえばいいのだが、これは結構面白かった。ただ最後の最後の詰めが甘いような気もする。宗教や信仰(対象はキリスト教なのだが)の逃げ道を用意周到にふさいでしまい、絶対に逃げ場がないところに追い込んでいるのに、結局はとどめを刺せないまま引き分け……みたいな感じだ。判定試合ならドーキンスの優勢勝ちだろうが、決定的なKO勝利ではないから、宗教の側にもそれなりの言い分はあるだろうな。これに呼応する形でマクグラスが「神は妄想か?―無神論原理主義とドーキンスによる神の否定」という本を書いているが、これも図書館に蔵書があったので予約した。これは正月の読書かな。

 ドーキンスが「神は妄想である」の中で述べていることはいちいちもっともだし、不可知論者を名乗る僕自身の曖昧な態度を批判されているかのように感じる鋭い指摘もあったりする。宗教は理不尽なものであり、しばしば人間の合理的な思考や、理性的な判断、普遍的な倫理道徳などに反するものだ。しかしドーキンス自身が認めているように、宗教はしばしばその原理主義的な立場を社会の求める「合理性」や「普遍的な価値観」に譲っているようにも思える。宗教があるからと言って人々が現代の医療を拒否するわけではないし、人種差別や性的少数者への差別が固定化されているわけでもない。宗教は世間の価値観にどんどん譲歩している。それに反発する原理主義もあるが、全体としては宗教の世俗化への流れは押しとどめることができない。

 少なくともキリスト教社会においては、原理主義はとっくに力を失っていると見ることもできる。キリスト教原理主義の巣窟が世界一の大国アメリカだから話は少々厄介ではあるが、ブッシュ政権下で政治的に大きな力を振るった原理主義的な勢力の力は、もはやかなり衰えていることが明らかだ。(ドーキンスが「神は妄想である」を書いていたのは、まさにそのブッシュ政権時代だったわけだけれど。)

 今後の世界ではイスラムの存在感が増してくると思うのだが、イスラムがどの程度世俗化し得るのかは21世紀のテーマになってくるかもしれない。でもグローバリゼーションや経済発展の中で、宗教はやはり世俗化せざるを得ないような気がするけどね。

 キリスト教は世俗化を進めている。イスラムもいずれは世俗化するだろう。こうして宗教がどんどん世俗化していった後に、それでも最後まで残る宗教的な価値観とは何だろうか? 僕はそれに興味がある。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 読書, 日記

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